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【提言3】車の自動運転への期待と置き去りにされる課題

ユーザー
サイト管理者
日付
18年11月14日 09時59分
元記事URL(外部サイト)
https://ameblo.jp/kondoh-blg/entry-12418937148.html

[本文引用]

夢物語が夢でなくなる。科学技術やICTの発展は私が子供の頃には
不可能と思っていたことを可能にする力を秘めている。
第四次産業革命と騒がれる昨今、特にそれを実感する。
とはいえ、最初の産業革命以来まだ200年しか経過していない。
この間、その時々で驚くような進化が私たちの生活の中では
起こり続けている。例えば、江戸時代の人にとってみたら
飛行機が世界中を飛びまわり、新幹線が東海道五十三次を走り抜け、
スマホ片手に世界中がオンラインでつながる世界など
想像の枠を超えている。現在進行形で起こっていることは、
昔の人にとってみたら想像できなくて当たり前だ。
逆の話になるが、ドラえもんのタイムマシンに乗って、
スマホを持って過去へ行けたらと思うと妙にワクワクするのは
私だけであろうか?

さて、ICTによる第四次産業革命は始まったばかりという説が多い。
このことを説明しろと言われても正直、よくわからない。
ただひとつ言えることは、近い未来、今まで夢だったことが数多く
想像以上のスピードで実現しそうだということだ。歴史の転換点は
過ぎ去って初めて気づくことが多い。今回の産業革命も未来から
眺めれば、そのような事象に映るのではないか。

未来で実現可能になる技術のひとつに自動車の自動運転がある。
これはICTなくして成立しない。どうも政府は2020年の
東京オリンピックの晴れの舞台を利用して、世界に日本の
最先端交通システムをお披露目しようと画策しているようだ。
メディアも自動運転の記事が多くなる。
最近では、自動運転と聞いてもそれほど驚きもないし、
新鮮さも薄れてきた感がある。

もうひとつ、注目すべきはグーグルの動きである。
グーグルが自動車産業へ参入すると聞けば、俄かに信じがたい。
しかし、現実の世界ではすでにトヨタと次世代の自動車産業の
覇権争いで火花を散らしているのだ。ICTビジネスの
見地からすると、グーグルが自動車産業に参入することは理解できる。
しかし、ICTに詳しくない人達がこの状況を眺めれば、
この動きを理解するまでには随分と時間がかかる。
実際、私もICT関連のセミナーでこのような話をすることもあるが、
どうもまだ反応としては全体的にはピンときていない。
要はこれからの産業やビジネスは『情報』を握ったものが
勝つ時代に突入したのだ。
「人・モノ・金」が経営資源であり、その中に『情報』が加わった・・・
と言われて久しいが、これはからは経営資源で一番重要なものは
この『情報』だ。今でも、グーグルは私たちのさまざまな生活に関する
情報を日々蓄積している。このことをICTに疎い友人などに話すると
「信じられない」という反応を示す。彼は日本の平均的なビジネスパーソン。
彼がそのような見識なのだから一般のシニアや主婦などは知らなくて当然だ。
とはいえ、このことは有名芸能人のLINE情報が漏れたぐらいの
程度の話ではない。

車の話に戻るが、今、日本の最新の車はカーナビが当たり前のように
装着されている。そしてインターネットにつながり、スマホにもつながる。
ユーザーは便利な時代を謳歌するかのごとく使いこなしている。
しかし、これが何を意味するのか?

つまり、その気になれば、車における行動のすべてをグーグルなどの
巨大ネットサービス企業は把握することができる。
車外の情報にいたっては、常に携帯しているスマホからすべて把握もできる。
トヨタが世界中で拡大する配車予約サービス「ウーバー」に出資したのは
自動車産業の近未来を見据えているからからに他ならない。
すでに巨大ネットサービス企業の存在はトヨタなど巨大メーカーの
存続すら脅かすまでに成長している。

ちなみに、「ウーバー」は仕組みとしてはとても合理的である。
タクシーの相乗りなどにも使えるため、結果として必要な車の総数は
減る方向に向かうだろう。一見、自動車メーカーから見れば、
完全にカニバリゼーション(共食い状態)に陥っている。
しかし、グーグルにしても「ウーバー」にしても、車の販売代理店よりも
すでに車の利用者側にいる。日々の行動情報を把握している立場なので
あるから強いのは当たり前のことである。

今、私達はシニアビジネスを推進している。シニアが元気に働き、
快適な生活を送ることができ、世界に誇れるお手本となるような
超高齢化社会の実現に向けて、創業以来の経験とノウハウを結集し、
ビジネスを拡大させようとしている。
そのひとつに、シニアの交通安全というテーマがある。
かつて大阪府の免許更新時講習案件を落札し、その後も京都府警で
同様の案件を受託した経緯がある。一般免許保有者向け講習もあれば、
企業の安全管理者向けの講習も引き受けている。
これらの案件のおかげで私たちは交通社会の現場をよく理解し、
精通することができた。その中で、日本の交通安全の課題は
何といってもシニアの事故対策である。交通事故数自体は
近年は減少しているが、高齢者の事故件数は相変わらず
横ばいのままだ。相対的に見れば、増えているという見方も
できるだろう。時々、メディアも高齢者の事故をニュースで
ことさら強調している。このような現象も重なり、世間の風潮は
「高齢者になったら車の運転をやめるべき」となる。
とにかく今の日本はメディアに振り回される。

日本人はもっとシニアの問題を深く考えるべきだ。地方の活性化や
シニアの活躍を後押しする国や自治体の動きは歓迎したい。
しかし、地方の現実の課題はほったらかしのままだ。
このシニアの車の運転問題が最たるものである。
地方において車は生活の足である。
それはシニアも同様で、車がないと生活にとても困る。
そんな現実を見ずして「運転をやめろ」という意見は
あまりにも乱暴すぎる。もちろん、実際に運転能力が落ちて、
すでに免許取得の基準に達していないシニアの運転は控えるべきである。
しかし、このことにおいても、現実は免許更新の場で
シビアに判定しているわけではない。
結局、免許の更新は形式だけであり、解決すべき問題を
曖昧なままにしている。

確かに都会であれば、自動運転は実現するだろう。
しかし、それにどれほどのメリットがあるのか疑わしい。
高速道路を運転するトラックならばメリットはとても大きい。
しかし、地方の観光地を巡る高速バスの運転はそうはいかない。
一般の若者のドライバーが自動運転を好むだ