[本文引用]
お互い様での話であるが、人は日常、他人に対して何らかの評価や判断をしている。
何かの縁で初対面で、ほとんどの人が相手の人のことを見極めようとする。
たいていの場合は、それまでに自分がお付き合いがある、あるいは関わったとことがある沢山の人と照らし合わせて、目利きをしていると思う。
人生経験を積めば積むほど、直観と言うものが効く。馬が合いそうかそうでいないか。自分の友人に似ているとか。何かと自分自身の判断基準があって、積極的に付き合うがどうかを、とても短時間で判断すると思う。
何かの目的があって、交流会で知り合ったり、仕事の打合せで縁ができたり、田舎に行って活動している時にたまたま近くにいた年配の女性に会ったり。どんな人といつどこで会うかは実に未知数と言っても過言ではない。
もちろん、自分の行動に左右されるところは多いので、世の中の人全員が、四六時中新しい人と出会っているとは限らないが。
私の様な会社経営をしていると、人の見極めについては場数だけは増える。
最たるものは社員の採用だ。
実際、私は、創業してからの約30年間で、採用のための面接を数多くしてきた。
もちろん、数だけで言えば、大企業の人事部長クラスには到底及ばないが、雇用責任の重さを考えたら、結構プレッシャーのかかることであり、骨の折れることであると今更ながら痛感する。
会社説明会から始まって、当社の場合は、3次面接まである。3次が私の最終面接である。
会社を創めたころは、私が最初から面接することが多かった。理由は、見極めの自信があったということではなく、自分が口説こうという意識が強かったからだ。
まだまだ、脆弱な会社だったから、未来を語り熱意を伝えることを主眼に置いた。
だから、採用のための見極めと言うよりも、私の考えや未来の想いを伝えるための場だった。結果として相手の事はほんど分かっていない状態である。
そしてある程度、企業活動が落ち着いてくる中で、世間一般の求人広告、会社説明会という流れも定着していった。その間に、沢山の人の面接もしたし、実際採用をして一緒に仕事もしてきた。
今でも、面接以外でも多くの人に会う。極端に言えば、ビジネスとして考える場合とプライベートなお付き合いで考える場合に分かれるが、今ぐらいの年齢と言うかキャリアになると、明確な区分を持って人と会っている訳ではない。
最近は、シンプルに自分と相手の人生がつながって豊かでハッピーになればと思っている。そういう意味ではお互いさまの中でのお互いの見極めが日々連続的に生まれているのではと思っている。
採用の話に戻ると、どんな会社でも採用基準を定める。人物像を設定して、素養や性格的にそれに沿うような人を採用しようとする。もちろん、世の中には多様な採用手法は沢山ある。それは裏を返せば、それだけ難しい領域だからだと思う。
私も正直色々と体験した。
結果的に入社に至らなかった人がどうなったかは分からないが、社員になって活躍してもらった人の中で、採用時の評価が芳しくなかった人も意外と多い。
採用を長年経験していて、今思うことは人の見極めはとても難しいということだ。もしかしたら、そんなことはできないのかもしれないとすら思う。人と人の相性の問題であったりするわけで、そう考えると、常にお互いさまである。
そして、社員に限らず人が成長する可能性を見極めるなどは、不可能にも思えてくる。
だから人付き合いは自然体でいこう。10年ぐらい前からそう思えるようになってきた。
以上