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およそ日本では、小さい頃からの教育にはじまって、中高での教育までは、基本形と型の学習の場と言っても過言ではない。
もちろん、時代の経過とともに変容してきているのは事実だが、それでも50年前と大差はない。そして、社会人になって働くわけだが、当然、日本には日本の仕事のやり方や基準、標準がある。
外国の人に聞けばよく分かるが、日本は実に便利でサービスが行き届いた国である。また、美しくて親切な人が多い国でもある。これは日本人が中心になって長年創り上げた結果である。
こういう社会としての基本的なことと相まって、それぞれの企業の仕事の基本形や標準というのが更にあって、働きだすとそれをとことん叩き込まれる。逆に言うとそれをマスターできないと、その会社には合わない、あるいは仕事ができない人と評価されることになる。
私は、新興国でも長年の仕事してきた経験から、日本とこれらの国を比べて思うことがある。
これからの国というのは仕事のやり方においても社会的サービスにおいても未成熟で遅れていると言われるが、日本と比べてみるとギャップが分かりやすい。様々なことで基本形や標準があいまいだったり、未整備だったりすることが多い。
単純な事例として、外食チェーンの接客対応を考えてみれば分かる。日本国内の場合だと、日本自体がそもそも接客レベルが高いので、外食チェーンのサービスマニュアルが優れていても、それでも機械的という評価が生まれたりする。
一方、新興国、例えばベトナムの10年前の日系外食チェーンのサービスは非の打ち所がないぐらい素晴らしいとなる。たとえ、機械的なサービスをしていてもだ。
その背景はあまりにもシンプルで、その当時のベトナムはお客様にサービスする概念がまだ未成熟で基準や標準が確立されていなかったからだ。
こういう標準や基準は、国によって違うのは当たり前であるが、実はこれは日本国内でもあらゆる場面に当てはまることである。
ある分野のノウハウや知見、経験がある人と話していて、ふと思う時がある。その人の言うことは確かに有益そうだし素晴らしいと思っても、他にも別のやりかたや考えがあるのでは?と私は常に思うタイプである。
例えば、骨折の治療で考えてみる。
治療法は多分沢山ある。得てして骨折の経験者は親切に自分の治療のやり方と経験を教えてくれるだろう。人の親切は人間関係の基本だからこれを否定する考えはない。
確かに、昔のように情報入手の手段が限られていた時代は、自分の近くに骨折経験者がいることだけでもありがたい。しかし、今のように骨折の治療について知ろうと思えば、具体的に足首の骨折の治療とネットに入れると、様々な情報が入手できる。いまであれば、動画サイトにも投稿されているかもしれない。
ただ、骨折であれば、基本的には自分事なので、単純な判断でもよいが、仕事の世界ではそうはいかない。今の時代、言い方を変えれば、たったひとりの専門家だけの経験や情報は、仕事の世界では疑ってかかる方が賢明だ。
私は最近、農業でも同じことを実感した。
自分達の畑に玉ねぎの苗を植えてみた。
誰が考えても実際の農業経験者のアドバイスを聞くのがベストウェイである。一方で、YouTubeをみただけでも、玉ねぎの植え方というのは実に沢山あることが分かる。
最近の仕事は、簡単にアクセスできる情報を如何にタイムリーに活用できるが勝負と言っても過言ではない。
少なくと、こういう時代に仕事力を高めていくためには、自分が知っている情報やノウハウ、所属する会社が保有している情報やノウハウで一応の勝負は出来るとしても、世の中で通用するレベルかどうかの見極めは大切だ。
世間の標準や基準は何かを知っている。そして、それらと自分や自社のやり方とのギャップを把握しておく。そして必要に応じて、それらも活用や説明できる、常にこういう状態にしておきたい。そうでないと信用を失いやすい時代である。なぜならば、顧客はなんでも知ることができる時代だからである。
以上