[本文引用]
私が創業したばかりの頃、衝撃的なタイトルの本に惹かれた。
それは、デコンストラクション、日本語では創造的破壊という訳が付いていた。
イノベーションは革新と訳されることが多い。誤解している人も多いが、イノベーションは必ずしも技術革新ではない。いかにも最先端技術をトリガーにイノベーションが起るとする考えはとても狭義な解釈だ。
私は、イノベーションはつながりから生まれるという感覚だ。
これは、経営者なら大抵の人が尊敬し憧れるスティーブ・ジョブスの言葉でもある。
何か新しいこと、今までにないことを、仕組みを劇的に作り替える事、社会の課題を解決する事。
どれも創造的でイノベーティブな活動だと思う。
日本のように成熟した国で、ほとんどのものが揃っている国で、イノベーションを起こすとはどういう事だろうか?
日本の場合は、都会と田舎という両極端な社会インフラが存在する国であり、この両極それぞれに大きな課題があり、また、この関連する世界の中でも改革するべきことは山積している。
冒頭の話に戻ると、創業時に、更に起業家魂に火をつける言葉として、気に入ったのが創造的破壊だ。
何もないところに創造することも面白いが、すでにあるものを壊して新しいものを創る。
私の記憶に鮮烈なのが、ベルリンの壁の崩壊だ。これはまさしく、創造的破壊だ。また、新しい国の独立も現代においても起っている。こういう独立と言うのは元に戻すという事もあるが、やはり創造的破壊だろう。
Amazonエフェクトと言われるほど、小売りの世界に変革をもたらした創業者のベソスはまさしく創造的破壊者と言えるかもしれない。影響を受けている経営者は世界中に沢山いるだろう。
とは言え、実はITサービス企業であるという事も合わせて観察しないと、ビジネスモデルを誤認する。
ECの世界では創造的破壊者だが、ITビジネスにおいては、既存のサービスを進化させたビジネスである。
私自身はどうかというと、すでに色々な機会に表現してきたが、できるだけ誰もやっていないことにチャレンジしたいと思っている。
一つは、新興国のビジネスだ。かつての日本のような場所が沢山あり、飽きることは永遠にないと思う。
こういう世界では、創造的破壊のようなビジネスは皆無だ。新規ビジネス多産多死の世界であり、失敗することに価値がある時代がそこにはある。
日本も戦後はそうだった。
高度経済成長期の前半は間違いなくそうだったと思う。失敗することがイノベーションへの最短コースだ。やがて、安定成長、計画的成長が見えてくると、失敗を極力避ける選択が増えてきた。そして今の日本の社会や経済メカニズムがある。
なんとかしないといけいない。劇的に変えないといけない。マンネリと惰性から脱却するべきだ。私が創業した頃の30年前は、世はバブル崩壊によるショックと不安に溢れていた。
だからこそ、デコンストラクションが流行ったし私も影響を受けた。
自分の事は棚に上げて言うと、あれから30年、いまだに日本では創造的破壊は起こっていない。そういう閉塞感、平和ボケ日本も、世界同時にコロナ禍に直面した。
起業家に限らず、ピンチはチャンスなりという動きも見える。日本にはラストチャンスだと言う人もいる。少なくとも日本にとって本当に大事なものは見えてきたと思う。
創造的破壊という破壊力はなくても、じっくりと、小さな単位でも数多くのイノベーションが生まれるのが日本だと思う。
そういう意味で、象徴的なスタートアップの爆走は日本には必要がないと思う。
日本的な創造的破壊、それは日本の田舎、地域の再生にあると確信する。日本の再生は田舎と地方と自然と農業。
これからはここでイノベーションを起こす活動に取り組んでいこうと思う。それがいままで力を入れてきた新興国の発展にもつながると思うからである。
以上