[本文引用]
人を教育する、人に教えると言うのは、教えられる立場の人が自らが自覚したり悟ったりした時に、初めて大きな効果が出る。
私は最近、このことの確信に至った。
きっと、ようやくというか、とうとうという感じで私の周囲は思うに違いない。
決して諦めた訳ではない。
では、私がどう悟ったかを書きたいと思う。
ビジネスにおける人の教育についての私の考えは、自分自身の長年の経験がベースにある。会社を創業して、自ら雇用してきたことと、それ以上に人に教えるのが好きな私。30代の頃を今になって振り返ると、人を育てたい気持ちが先行し過ぎて、若い頃は教育に強引だったと思う。
30年近く会社経営をしてはいても、いつになっても一番の問題や課題は人のことである。雇用責任があるがゆえに、関りは一般の企業人よりは深くなる。教える側の私自身が教育を通して学んだこと、会得したこと、進化したことなどは数えきれないほどある。
もちろん、これは、経営者でなくても部下を持って働いていたら似たようなものかもしれないが。
一方で、人の教育は、何年たっても何度トライしても解決と言うか、明確な答えの出ないことも増えてくる。長年のジレンマから脱出できたわけではないが、ある意味、最近は悟って来たとも言えるのである。
改めて、人の教育について考える時、らくだのたとえ話は良くできていると改めて感心する。
“ラクダを水飲み場に連れていくこと出来ても、飲ませることはできない。”
考えれば考えるほど、深い意味である。
簡単に行ってしまえば、ラクダだけでないが、生き物は全て同じで、自ら水を飲みたいと思わなければ、水は飲ませることはできない。
本当にシンプルだけで奥の深い教えである。
ちょっと屁理屈を先に言うと、きっと、人間も動物も水がなくて死にそうになると、何が何でも水は飲むだろう。
しかし、ここの例え話はそういう話ではない。
人間もそうだが、水を飲む目的は色々とある。スポーツの世界では今では当たり前だが、適宜の水を補給するのが常識で、そういうことを知っている人は、自分でちゃんと水を飲むと思う。
しかし、子供の時は本能的な行動が支配しているので、のどは乾いていないから飲まない子もいるだろう。
実は、人に教える際のもう一つのジレンマもある。それは、いかに人に経験を積ませるかというテーマだ。
部下に経験をさせることは、実に奥が深いし難しい。教育するにしても、スキルアップをサポートするにしても、知識習得するだけでは、何事も進化はない。
これはスポーツに例えたらよく分かる。
今流行りの卓球だが、他のスポーツと見ているだけ、本を読んだだけでは出来るようにはならない。やっぱり、やってみることである。やってみてどうなるか。最初は当然、天才でもない限りは普通の人は上手くは出来ない。言い方を変えれば、失敗をする訳である。
これと同じように仕事を考えてみるが、部下に経験を積ませるというのは、言うのは簡単だが、実際に行うのは大変難しい。
ここで、練習と本番という区分で、経験を積ませることを考えてみる。
航空機のパイロットで考えると、なかなか、シビアな世界が想像できる。パイロットの見習いにとっての練習とは何か?本番とは何か?であるが。
単純に考えれば、パイロットの場合の練習というのは、乗客を乗せずに実際に飛ぶことであろう。本番とは、乗客を乗せて通常の商用のフライトだ。(もちろん、貨物と言う例外もあるが)。
初心者のパイロットに操縦させる。基本的に今は自動操縦であるので事故はないにしても、乗客が知らされていたらとても怖く感じるだろう。
パイロットの友人に昔教えてもらったことがあるが、実際は、高性能のフライトシュミレーターがあり、実際の飛行機でなくても相当な訓練ができるようだ。
一般の仕事はそうはいかない。こんな装置がいちいち作れるわけがない。
結局、世の中のほとんどの仕事は、初心者であってもどこかで本番を担当しているのである。
お客さんは、こういう事実を知っているようで知らない。そういう中で、如何に優れた高品質の商品やサービス生み出すか。長年、こういうことを現場でやってきたが、実に大変なのである。
部下には経験を積まさないといけない。しかもそれは本番で。しかし、失敗は許されない。だから、ついつい手助けや先回りをしてしまう。
最近流行りのITで置き換えることも簡単だ。だが、それが過ぎると結局は、サポートされることに慣れてしまい、本当の経験は出来ない。
失敗経験は成長には必要だ。
だからと言ってする前から失敗すると分かっていることを看過できない。
人間は実に不思議なジレンマを抱えてい。そんな中でも少しずつでも人間は進化していると思いたい。
以上