[本文引用]
シニアの方と接していると、少なからず、シニアの方が思っていることの一つとして、自分の知恵や経験は価値があるはずだ、だと思う。
仕事と社会貢献と分けて考える必要があると思うが、まずは、仕事の世界で考えてみる。
一般的に、長年仕事をしていると、若いときにできたことが出来なくなる半面、経験を積まないと出来ないことに分かれていることに気づく。
例えば、私の場合で言うと、緩やかに働いていた20代はともかく、創業しての30代は今と比べるとまさに体力勝負。体力が続く限り、フルスロットルで活動していた。
考えてみれば、知恵の方はほとんどなかった。
働いた経験にしても僅か10年少し。経営者の尺度で言うと赤ちゃんから幼稚園ぐらいの過程だ。
それが40代になり、だんだんと体力勝負ではできないことを悟り始める。
この辺りから、仕事経験や経験の実践の中で、知らず知らずのうちに、様々な修羅場をくぐっていくと、知恵や体験を人に伝えることが出来るようになる。どんな仕事をするかによるが、少なくともこういうものは、社員教育や組織運営には役に立つ。
そして、私は今、59歳。当然、この先の事を考えているが、例えば、5年先、10年先に、それまでの知恵や経験を役立てることが出来るかと言えば、少しはあるだろうが、その間に世の中は劇的に変わりつつある。
DX社会が浸透する中で、個人個人の持っている知恵や経験の価値は日に日に減衰していると私は考えている。
それは一言で言えば、今流行りのビックデータである。これはIT業界の用語であるが、仕事を離れた世界でも、このビックデータが世の中に浸透してくると私たちの生活や仕事は劇的に変わる。
日経新聞では、データの世紀と言う表現で特集もされている。私は、未来を見据えて21世紀は記録の世紀と名付けているが、ほんどの個人の知恵や経験は、データ化可能な時代なのである。
だから、私は、仮に数年後、20年後に役に立つことがあるのであれば、できるだけ記録しておこうと思う。それが、1000年後の何かに役に立ったり意味があったりするかも?シンプルに考えるだけでワクワクする。タイムカプセルのようなものでもある。
こんな変化の時代にいる時に、残念ながら、昔ながらの自分の若いときは・・、自分が経験してきたことは・・、高度経済成長時の企業の神髄・・、ビジネスというのは・・・。こんな語りをしたい人が今でも沢山いるし、まだまだ増えそうだ。
一体だれがそういうのを求めていると言うのだろうか。伝えたい人は沢山いても、伝えてほしい、聴きたい人は減る一方だ。
私のようなタイプは、シニアに限らず人間そのものに興味があるので、頑張って色々な人の話を聞こうという意識は強いが、世の中は、すでに人の話にはうんざりしている。情報過多と相まって、もう腹いっぱいなのである。
で、シニアの方に提言したい。皆さんがいなくなったら困ること、もったいないこと、日本にとって、社会にとっての損失は何かを考えてみると良いと思う。
そのひとつは、昭和の記録ではないだろうか。
令和の記録はさきほど書いたように、ほっといてもどんどん蓄積される。AIの進化も相まって、様々な切り口で、今の人、後世の人が、全体の集合知として活用できる時代である。
今のままであれば、昭和の記録のチャンスが、あと、20年ぐらいで消えていく。一刻も早く残すことに注力する。これがシニアの方の最大の役割であると思っている。
以上