[本文引用]
たまたま。
最近の私と私の周辺のブームだ。
私の30代からの口癖は、偶然の必然。
創業間がないころ、それまでの自分のわずか30年強の人生を振り返って、自分の生き方に納得ができる言葉を探していて、ピンと来たのがこれ。
もちろん、すでに近いことを多くの人が使っているのを知っていた。私はわざわざ、“偶然の必然”として使った。偶然が重なっていくと必然と思えるような時期が来る。といったニュアンスだ。
決して、自分の運命が決まっていると考えているタイプではない。むしろ逆で、これからのことは、まったく分らないし、結局は、自分の判断や行動次第で変わると考えている。
言い方を変えれば、運命は変えられると思っている。
ついでに書くと、済んだことをどう考えるかという話題も尽きないが、私は、結果に対しては、運命だったという言い方もあるが、それに加えて、これからの行動で過去も活かせると思っている。
たいてい、過去のことを振り返って、成功する運命だったという人は少ない。どちらかというと、後悔や反省の念が根底にあって、運命だったんだから仕方がないといニュアンスで自分に言いきかせているような人が多いと思う。
これは、必ずしもネガティブな話でもなく、だから、反省を先に向かって活かそう。という感じで使う人も多いと思う。
私はこれをさらに肯定的にとらえて、これからの言動次第で、済んだことの運命的な意味づけも、未来と一緒で変えられると思っている。
重ねて言うと、運命は何も決まっていない。こんな感じが私は好きである。
これをとてもノリよくフランクにいうと、たまたまという言葉がぴったりはまるのである。
では、たまたまの逆を考えてみる。
計画通りということが当てはまる。ちょっとずるい意味では計算通りというニュアンスにもなる。
もちろん、プロジェクト遂行などの期限や予算が決まっているものに対しては、たまたまの要素は少ない。しかし、これにしても、プロジェクトが正式に決定するまでは、たまたまの要素がたくさんある。
どんな仕事にもどんな出会いも、たまたまの要素が含まれているといっても過言ではない。
特に、人と会うタイミング、場所、自分と相手の気分、何かをテーマにするか・・などなど、実に様々な要因が複合的に絡み合う。
そもそも、たまたまが発生する下地があるといえる。
毎日毎日、たまたまの連続感があり、ワクワクしている日々ではあるが、大切にしていることがある。
それはやはり、何をするかより誰とするか。
これを外したたまたまであれば、私は、あまり、積極的には追っかけない。時間も労力も割かない。やはり、誰とするかが何よりも大切だ。
ただ、こういう風に書くと、何をするかは関係なのかと言う人も出てくるが、正確に言うと、何をするかは当たり前すぎる話である。
例えば、私が今、製造業を始めるかといえば、数年先はわからないが、今はあり得ない。映画についてどうかといえば、数年前から映画についてかかわりだしたので、ど真ん中に近いテーマだ。
こん風に自分自身のたまたまのテーマは当然、変化、進化している。だから、タイミングというのは、たまたまが発展するかどうかの重要な要素である。
一方で、誰とするかに関しては、生きている限り変わらない。
やはり、付き合う人は仕事であっても選びたい。あとは、今か三年後か十年後かは、それはたまたまのタイミングの話である。
偶然の必然というのは、結局は自分の意志と行動次第だと思う。そのためにも、自分が何をしたいか?誰としたいかをもっともっと積極的に発信しようと思っている。
以上