[本文引用]
反省はしても後悔はしない。
40歳になる頃まで、私の仕事の現場での口癖だった。
最近、ふと使っていないことを思い出した。
もともとの意味は、こんな感じだ。
何事も失敗を振り返ることは大切だが、後悔の気持ちではなく、反省の心構えで振り返る。そして、次に活かすという意識を強く持って、改善につなげる。
人間は失敗をする。もちろん、動物も失敗はするだろう。例えば、狙った獲物を捕り損ねて、家族が飢え死にする危機に瀕したとする。だからと言って、後悔するとも思えない。
人間は後悔する。くよくよと失敗したことを引きずる。そして、悪循環に陥る。
私のゴルフで考えてみると、経験者は納得してくれるだろう。
ゴルフでミスをする。それを後悔する。すると必ずと言ってよいほど、次のプレーに影響する。しばらくは、失敗が続く。そして、終わりごろになって開き直る。普通のプレーができる。
これは、スポーツ以外、人間の営み全般に共通する。もちろん、個人差はある。極端な話し、失敗してもケロっとしている人もいるが、一般的には失敗すると落ち込み、後悔する。
長年、色々な人と仕事してきた。社員や会社員、個人事業主、そして経営者。まあ、仕事ができる人は、後悔を少なくとも表面には絶対に出さない。そもそも、失敗は成長の糧である。失敗がない人生などない。失敗しても諦めなければ失敗ではない。表現は微妙に違っていても、皆さんボジティブだ。
このブログでも何回も登場させているが、私が今でも積極的に使う言い回しがある。
フランスの哲学者アランの言葉である。
“悲観主義は気分に属する。楽観主義は意志に属する”。
先ほど、あげたポジティブな考えの持ち主と全く共通している。要するに、失敗を次に活かす、人生の糧にする意志なのである。
では、そういう強い意志や気持ちだけで、本当に失敗を次につなげられるのか?
実はその結論は、はっきりしていて無理なのである。
そもそも、ニュアンスは違うが、他責では絶対にダメである。少なくとも自分が何らかで関わっていることでの失敗は、まずは、率先して自分の失敗を見直すべきなのである。
これは、特に立場が上、キュリアが豊富、世間で認められている。こんな世界にいる人は、素直に反省ができるか否かで、本物かどうかが分かる。
人間誰しも自分のことを反省する事は難しい。言い方を変えれば、後悔は幾らでも出来る。気持ちの問題だからである。落ち込むことは人間の本能とも言える。
ところが、この反省と言うのは、なかなかできない。自分の非を認めるということに大抵の人は抵抗感がある。もちろん、私もある。それに如何に抗うかである。
特に、自分の得意領域であれば、なかなか、反省ができなかったりする。どうしても自分以外に失敗の原因を求めたりする。一方、仕事の責任感が欠落していたり仕事のスキルが低い人は、あっさりと“すみません”を連発したりする。
私に言わせると、これは反省とは言わない。
もっと極端に言えば、すみませんだけで済まそうとしている輩もいる。悪い口癖なのである。
もちろん、言うべき時には、申し訳ありませんでした。は大切であるが、言うだけではNGだ。実は反省と言うのはとても前向きな行為である。失敗を将来に活かすということは言うまでもない。
自分の仕事力や人間力も含めて、しっかりと、失敗の機会に反省し見直しする。そして、改善する必要があると認識したことは、ポジティブに改善する。
こんな姿勢が大切だと思う。
もちろん、人間は完ぺきにはならないので、自分の欠点を素直に認めていくということにもつながる事である。
以上