[本文引用]
旬であること。
私は、仕事においてもプライベートにおいても、意識して生活している。
と言いながら、長年そうしていると無意識にそういう言動になっているのかもしれない。
今回は、仕事において旬であるとはどういうことかを考える。
情報と密接なテーマでもある。
まずも身近な旬な話をしようと思う。
もうすでに本州では春は過ぎ去ったが、私の場合は、春と言えばタケノコだ。
この季節、私はタケノコ料理を積極的に食べる。もちろん、今どき、年中タケノコは食べられるが、やはり、春先に食べたい。
新幹線の駅弁も好んで、タケノコご飯のものを買う。それと並んで好きなのがフキノトウ。こちらは、色々な食し方はあるが、やはり、天ぷら。
極端に言えば、春先はこれを食べるために生きているようなものである。
もうひとつ、皆さんの身近な食で考えてみる。
そもそも、野菜や果物は、旬なものを食べるしかなかった。地産地消とあわせて、季節季節でその土地で実ったものを近くの人が食べる。実に、人間らしい生活である。
こんな風に食だけとは限らないが、旬の背景には、季節感や郷土の空気感なども重なってくる。
そもそも、旬から連想される言葉には幾つかあるが、新鮮、ピチピチ感、フレッシュ、爽やか、とっておきなどが挙げられると思う。
話は今回の本題に戻るが、ビジネスにおいて旬であるとはどういうことか?
感覚的には、タイムリーであることが最初に浮かぶ。
今や情報を制したものがビジネスを制するのは常識。もっともビジネスのあり方が大きく変わろうとしている今、制する自体の表現がいわゆる“旬”ではないが。
まずは、狭義に考えてみる。自社にとって有益な情報が旬であるとはどういうことか。
今必要な情報がすぐに入手できるとしたら、これは旬な情報のように思える。旬とはそういう情報そのものとそういう情報が入手できる状態のことを意味すると言っても間違えてはなさそうだ。
ところが、この旬は、結構主観的である。
例えば、ベトナムのビシネスに関する情報について、疎い会社がベトナムヒジネスの情報を入手したとする。初心者であれば、日本と比較すると、たいていのことが、新鮮に思える。
仮にすでにベトナムビジネスをしている会社にとっては、当たり前のことでもだ。
こんなことは枚挙に暇がない。
野菜などと違って、客観的に判断基準や尺度がある訳ではない。
ビジネスの場合は、世間がどうでも、自社が当該テーマに関して、無知であれば旬な情報であると勘違いが起る。
新鮮さということを掘り下げてみる。
感覚的に新鮮な事と、実際に新鮮な事は微妙に違う。
ここでいう新鮮さとは、必ずしも新しいことではない。情報でもう一度考えてみる。実は、ビジネスにおいて、新しいか古いかは、新鮮さの尺度ではない。
シンプルに言えば、役に立つかどうかだ。
こういう風に考え来ると、先ほどのベトナムの話もそうだか、世間でどうのこうのという尺度も必要だが、自社にとって今必要な情報は、新しくても古くても旬であることは沢山ある。
話は少しそれるが、実は、今のメディアというのは旬な情報の発信源だと思える感じはある。新聞にしてもテレビにしてもだ。基本的に今を発信する。だから新鮮にも思えるし旬であるというのも間違いはない。しかし、ちょっと前と今のことばかりだ。
ビジネスにおいて旬を意識して活動することはとても大切だ、その時に、決して新しか古いかの尺度で考える事でもない。
旬と言うのは今必要な情報が手に入る状態、あるいはそういう人とのつながり事であると言える。
以上