[本文引用]
仕事力というのは、なかなか曖昧な言葉だ。
例えば、職人さんだったら、全部自分ができて初めて仕事力があると言うだろう。
私の親父は、農家だったが、超こだわりがあったと思う。
それは子供心に感じていた。
多分、誰のアドバイスも受けない、頑固一徹の親父だった。まさに昭和の親父の典型だったと思う。私は次男なので、農家を継ぐ通りはないのだが、私が創業して数年の時、つまり30代の後半の時、たった一度だけ、私が農家を継ぐことを考えたことがあった。
近藤家の事情があったのだが、その時、私は100人近くの社員がいたので、私なりの妙案を親父に提案したことがある。とは言え、頑固一徹の親父の存在感と言うのは、圧倒的で、母親経由で伝えるしかなかった。そうすると親父が激怒していると返事が帰って来た。
私なりに至極合理的に考えての案だった。今経営している会社は止めることはありえなかったので、アルバイトを使って、神戸から徳島の農業をするという具体的な案を出した。
この件で、直接話することなく、親父はその数年後に他界したが、もし、直接、親父と直談判していれば、話が違ったかもしれないと今でも時々思う。
その当時は、思いがけなく、農家を継ぐという機会が訪れたが、農業に対して人類に不可欠な産業としての認識が浅かったので、他の案を考えなかったのだと思う。直球過ぎたと思う。
今、農業ビジネスに関わっている訳だが、世の中の因果に今更ながら関心しながら、人生とは不思議なものだと思って過ごしている。
私は、その当時を振り返って、仮に自分が農業を知らない、実践としても現場に入れないとしても、できる方法があると考えたのである。この仕事感はどんな事業であっても変わらない。それに加えて、全くやったことがなくても、ある程度仕事をしてきて、基礎のスキルがあれば、たいていこなせるものと思っている。
一つは、ある職人の世界で一人前になるのに、昔なら10年かかったことが、今であれば、2、3年で十分だと思える根拠も幾つかある。
一つは、お手本は、目の前にいる親父だけでなく、今どきは、Youtubeなどで、幾らでも学ぶことが出来る。それに、自分が仮にできなくても、できる人を見つけて依頼することも昔に比べたら、容易になって来た。
依頼できそうな人を見つけるのが、楽になって来たという事である。
そういう様々な情報が流通している時代でもある。それと、アウトソーシングという考え方が定着してきたのもある。
もちろん、自分にしかできないことを追い求める仕事人生も良いと思う。常に選択の自由だ。私は、自分しかできないことを追っかけるほどの自信がないのもあるし、やっぱり、世の中でできる人と知り合いになって、お互いが補完関係で、仕事もしたいし、世の中に貢献できるような事業も生み出したい。
そんなことを言いながらも、社員が出来なければ、自分が引き取ってしまうジレンマの中、会社単位を超えた、仕事力の共有の仕組み。それは単なるアウトソーシングではなく、会社の垣根を超えて、プロが自由に集まって、知恵やスキルやノウハウの共有をして、社会に貢献する。
会社を超えて社会の中に存在する仕事集団。こんなイメージを追い続けていきたいと思う。
以上