[本文引用]
こういうのを昔自慢と言うのだろうか?
最近、おじさん達の昔の話を聴くのが楽しい。
おじさん達のご年齢は、皆さん、70歳を超えている。
先日もひょんなことから、知り合いの方の若い時の話になった。昼食を一緒させていただきながら、その方が、20歳ぐらいの時の写真をスマホで披露された。今と60年近く前の姿のギャップ感に、一同大騒ぎ。とってもハンサムな好青年に皆驚いた。
早速、別の同世代の方も刺激された様で、自分の写真も沢山あるからから、オフィス戻ろうとおっしゃる。その後の展開はご想像に任せるが、
ここ数か月、おじさん達の昔の話を聴くのが私の趣味になって来た。
こういうネタは、単なる昔の自慢話と違って、とても面白い。シニアになって嫌われる人の典型が、聞かれてもいないのに、昔の話を繰り替えしする人。こういうシニアにはなりたくないものだと思って日々過ごしてきた。
そんな中での発見だ。
自慢話やつまらない話ではなく、今、魅力的でアクティブな方々の子供の時、若いときはどんな感じだっただろうか?
改めて関心を持ってみたら、これは面白い。
その上、昭和の時代の世の中の様子や人の行動様式、その時代の遊び方、エンタメなどの世界まで蘇ってくる。
先日も、教育ビジネスのエキスパートの古希を迎えた社長と新規ビジネスのことで盛り上がった。適度なところで、オフィスでの軽めの飲み会が始まった。これまたひょんなことに、昔話に花が咲いた。聴けば、50年前ホストをされていたと面白おかしく(ご本人は事実をありのままにだったと思うが・・・)お話しいただいた。
やっぱり、人間は見かけと違うし、昔は今とも違う。今と昔の自分がどっちが本当の自分かという議論にもなりがちだが、当たり前の話、両方とも自分。少なくとも姿かたちは変わっている。時代背景も変わっている。
半世紀の時を経て、魅力的な方からの昔話と言うのは、そのギャップ感が本当に面白い。
考えてみれば、自分の年代年代で出会った方々から見えている自分はそれぞれで違うはずだ。そもそも、実際の今の自分と言うのを自分自身が分かっているかと言えばそうでもない。
それぞれの時代に付き合ってきた人たちから見たら、私自身も別人に見えると思う。
こんなことを考えていたら、平野啓一郎氏の分人論に書いてあったことを思い出す。
多重人格ではなく、分人論の発想は面白い。
ただ、この話は、基本的には、今の自分と言う尺度での話だ。最近私がハマっている昔話というのは、時空を超えての分人論かもしれない。
幼少期の自分、20歳ぐらいの自分、31歳で創業した時の自分、迷走した40歳前後、ベトナムに実質住んでいた40代の自分。
こんなことを考えてみると、ごく身近な人以外、こういう変化を自分以外に誰も知らない。これを外から見ると、興味を抱く人がいても不思議ではない。
では、どうやって、それを引き出すか。
聴く相手がいないなか、しゃべるものではない。たいていの方がおっしゃるのは、自分の昔の話なんか、誰も興味を持たないですよ。と。
でも、実際に聞いていて面白い。もちろん、それは今のその方が魅力的だからである。
人生100年時代、こういう昭和のおじさんの昔の話は、ぜひ、記録に残して、未来に残そうと思う。ビジネスや社会活動の大切な話しも重要だが、おじさんの昔の話も結構役に立つ。
おばさんと言うとお叱りを受けそうだが、女性の方の昔話も男性とは違う価値が相当あることも知った上での話しでした。
以上