[本文引用]
先日、徳島で久しぶりにセミナーをした。
キーダ地域連携セミナーとして行ったものだが、テーマは”変化適応を軸に考える―未来志向経営について―”。
少人数のセミナーと質問コーナーであったが、事前の予想通り、新たなつながりが生まれた。
徳島出身の私が、徳島を舞台に仕事をするようになった、きっかけが吉野川に生きる会だ。
NPO法人吉野川に生きる会は、島勝伸一さんが代表理事をされている。
人の縁とは不思議なもの。
高校卒業して県外に出て約30年。農家の3人兄弟の次男坊の私が、徳島で仕事するという感覚はなかった。他も多分そうだと思うが、農家と言うのは、長男が継ぐものと決まっている。男3人兄弟が、土地を分け合って、農家を継ぐと言うこともあり得ない。
だから、私は、小さい頃から、親父に、高校を卒業したら出ていく子供として育てられた。もっとも、それまでは、農家の人手として自分で言うのもなんだが、それなりに貢献したと思う。
そんな訳で、徳島に戻るとか徳島で事業活動するとかは頭になかった、一方で、里帰りと言うのは毎年していたので、都会暮らしが長くなればなるほど、田舎の暮らしはやっぱりええな。という気持ちはどこかで蓄積されていたのだろうと思う。
思い起こせば、必ずしも徳島でなくても、いつかどこかの田舎で暮らしながら、仕事したり人生を満喫したりできれば・・・こんな想いもそれなりにあった。
人は何がきっかけで、つながるかわからい。
島勝さんと出会いは、私が書いた一冊の本だ。“バカモン”というタイトルで、この本は、私が40歳過ぎの時に、概ね若者向けに、自戒の念も込めて書いたものだ。ある時、母親がこう言う。親戚で、昇の本の話が出てた。と。親戚のおじさんが経営する会社の社員読本で使っていると・・・。母親に本を渡すことはあったが、私が渡すより先に、親戚で話題になった。あの昇さんがね。という感じだろうか。
それがご縁で、私の従妹が務める会計事務所さんと仲良くなった。ある時、その所長さんから、吉野川に生きる会という活動している島勝さんと会ってみないですか?と紹介いただいた。
こういう性分の私は、こういう流れで断ることは100%ないし、また、善は急げという感覚の私は、直ぐに島勝さんにお会いした。
正直、初対面の場所は覚えていないのだが、私より14歳年上の島勝さんのバイタリティに感動したのと強烈な刺激を受けた。
そして、吉野川に生きる会には、2つ返事で参加を決め、それから濃くて刺激的なお付き合いが始まった。ベトナムにもお越しいただいた。何度も一緒にセミナーもした。
7年前に、島勝さんの運営される地域活性化の施設を利用して、徳島県の仕事で、サテライトオフィスの実証もした。東京と徳島をオンラインで結ぶだけでなく、ベトナムのホーチミンの当社のオフィスとつなぎ、徳島県産品のオンライン商談会も行った。日本でも珍しいことだったと思う。
来年はベトナム、日本の国交樹立50周年である。私は、お互いにの国にとって千載一遇のチャンスだと思っている。特に徳島とベトナムのつながりを、さらに太く本物にしようと計画している。
今からさかのぼる事、約10年。県庁に務めていた中学・高校の同級生との縁で、経済産業省のプロジェクト、クールジャパンに採択された。テーマは、ホーチミンで行った日本物産館。メインは徳島だった。
この時はこの時でとても盛り上がった。
産品だけでなく、文化もと言う事で、阿波踊りもホーチミンで披露できた。あれから紆余曲折。よそ者、若者、ばか者の世界を実感・痛感しながらも、縁が続いてきた。今度は、吉野川の中流という流域にフォーカスした活動に集中しようと考えている。
以上