[本文引用]
ほどほど、たまたま、ぼちぼち、そこそこ、まあまあ、だいたい・・・。
会話していて、結構、こういう曖昧な言葉の納得感が高まる時がある。
私は、自分の人生も他人の人生も、結果から見ていて、かなり“たまたま”だとつくづく思う。
それを、私は昔から偶然の必然と言い続けている訳だが、それと似たような感覚で、ほどほどについても、あれこれ考えることが多い。
ほどほどは、仕事とプライベートではちょっと違う感じはあるが、本質は同じように思う。ちなみに、デジタル大辞泉で調べてみた。
1 度が過ぎないで、ちょうどよい加減であること。適度。適当。「酒も―にしろ」
2 身分の程度。分際。
「―につけて、装束、人のありさまいみじくととのへたり」〈源・葵〉
両方とも、分かり易い。
適度、適当が何事においても良いという感覚は、なかなか難しい。ついつい、個人差はあるにしても、人間は度が過ぎてしまうからだ。
食べ過ぎ、飲み過ぎ、運動し過ぎ、働き過ぎ。様々な外的要因もあるにしても、根本は、人間の本能的な欲からくる話だと思っている。それに加えて、本人の性格も大いに関係がある。
仕事で、ほどほどにと言うと、手抜きの印象がある。その反対が完璧主義だろうか。
ちなみに、私の仕事に対する考えはこうだ。顧客に対して、何らかのサービスを提供したり、商品を販売したりする際に、顧客から対価をもらう。それに対して、顧客の期待を少しだけ上回ることが大切だと考えている。顧客満足度向上の観点から言うと、顧客の期待値を上回る。
そうすると、喜びは増すし、リピータになっていただいたり、口コミで良い評判を拡げてもらったりする可能性が芽生える。まあ、これぐらいのことは、客商売の常識と言っても良いが、もうひとつ大事なのは、自分がどういうレベルに達したいか?も大切である。
私は、原則、できるだけ最大限に完璧に仕事をしたいと思っているので、時間や環境が許す限り、顧客の期待値を上回るのは、当たり前として、とことん高いレベルを目指す。
ただ、それは理想であって、なかなか、そういう自分の目標値は達成できない。だから、どこかでほどほどになる。
話は変わるが、日本は地震大国だ。
大きな建築物は耐震構造になっている。要するに、人身を守るために、地震になっても建物が崩壊しないように設計されている。設計の基準と言うのがある。これを上回っていれば、もちろん、OKなのであるが、過剰すぎたらどうなるだろうか。これは資源の浪費なのである。
こういう場合は、やはり、適正基準というのをしっかり守るべきなのである。これは、お酒をほどほどにしないと、体壊しますよ。という話とは違うが、色々なほどほどがある。
あと、何かを心配する時も、ほどほどが良い。そういう類の本は、世の中ら沢山あるが、人間は、心配性である証だと思う。悪いことは、考えているほど頻繁に起こらないし、深刻にもならない。
案ずるより産むがやすしという諺も有名だ。
こういう言葉ができるという事は、やっぱり、心配をほどほどに済ますことがなかなか難しいという事だと思う。
たまたまにしてもほどほどにしても、何となく、いい加減さがつきまとうので、肯定しない人もいるだろうが、このあたりの日本語は考えれば考えるほど、奥が深いと思っている。
以上