[本文引用]
“赤ちゃんはゼロ歳、その親もゼロ歳。”
もう30年以上の前であるが、私の子供が誕生した時に、友人夫婦が教えてくれた言葉だ。
もうすっかり、その頃の子育ての感覚は忘れたが、親として初心者マークだった立場としては、とても安心し心穏やかになった記憶がある。
赤ちゃんだけに扱いが超デリケートだし、初心者の親としてはどうしても慎重になる。失敗しないようにとストレスも溜まる。専門誌で学んだり両親に聞いたりそれなりのことはしていたが、この言葉が一番役に立った記憶がある。
まあ、余談だが、不思議なもので、2番目に対しては、1番目の子供への対処が学びになるので、思いっきり、ラフな対応になるのも実感した。私自身が次男だから、余計にそういう実感はある。
だから、“習うより慣れろ”ということもとても的を射ていると思う。
だから、今でもたまに後輩たちに赤ちゃんができると、この話をすることがある。
大抵は、ほう。知らなかったです。こんな感じの反応だろうか。
この赤ちゃんはゼロ歳、その親もゼロ歳。
世間で未だに一般的な表現ではないようだ。私に教えてくれた友人は誰から教わったのだろうかと、その度に思うのだが、私は、結構この言い回しは色々と引用してきた。
実は、親もゼロ歳という表現は、子育ての場でなくても当てはまることは多いのだ。そもそも、ビジネスに限らないが、人間が赤ちゃんから成長する過程では、基本的には全てのことは未経験だ。
未経験だからこそ、チャレンジという高揚感はある。やはり、やったことがないことをするのは不安が先行しがちだし、周囲の期待が大きければ大きいほど、プレッシャーも感じる。
子育てなどはその典型かもしれない。
誰でも知っていることだが、現実は、やったことのないことばかりに遭遇しながら、人間は躓き失敗もしながら、人生を歩んでいく。
全く話は変わるが、私は、起業も似たようなものだと思っている。例えば、起業してすることの一つに社員の雇用がある。仮に、起業前に大企業の組織の中で、部下をもってマネジメント経験があったとしても、雇用責任を負っている訳ではない。起業すると当然、代表取締役としての雇用責任が発生する。
社員もゼロ歳だが、経営者もゼロ歳だ。今にして思えば、こんな感覚の時が一番面白かったし学びは多かった。
他にも色々とある。日本の高齢化社会も同じように考えられると思う。大雑把に言うと、日本社会は、超高齢化社会を迎えて、不安や心配が蔓延している国である。
世界初とも言われている。シニアの定義と言うのは諸説あるが、私は、WHOが定めている世界的な尺度を基準にして、65歳からシニアとして、様々な活動をしている。
そういう意味では、私自身は59歳だから、シニアではない。65歳をシニアゼロ歳として考えると、誰もシニアの赤ちゃんとしては、一緒な訳である。
実は、65歳をシニア0歳、85歳をシニア20歳とする考えを、牧IT研究所代表の牧壮さんが提唱されてきた。
シニアになることは、誰にとっても初めての事。日本の社会全体が、ゼロ歳の感覚で、シニア社会に対峙するのが良いと思う。
人間は、一生が、赤ちゃんゼロ歳、親ゼロ歳の繰り返しのような気がする。
以上