[本文引用]
北海道は第一次産業が盛んだ。
自給率もカロリーベース217%(令和2年)と、本当に自然の恵みの豊かなところだ。
特に酪農や畜産も含めた農業は、スケールも大きく、四国育ちの私から見たら、同じ日本とても思えない。
昨夏、はじめて旭川の当麻町を訪れた。当麻町で長年、有機農業の先駆者として活動してこられた瀬川守さんに会うためだ。瀬川さんは、有限会社トーマグリーンライフの創業者で、今も、健全な農業の発展に精力的に活動されてきた。
その瀬川さんの紹介で、宿は、当麻町の田んぼの真ん中を走る道沿いにポツンと存在するペンションに宿泊することになった。そして、再び今年の4月に、この宿に泊まった。
シニアのご主人と仲良くなった。
名刺には、(ペンション経営・小さな農家)と書いてある。思わず、どれぐらいの広さですか?と訊ねた。
3町5反、小さい農業です。と。
私にとって北海道はそれほど深い関係が昔からあった訳ではない。この10年ぐらいで、急速に北海道とのつながりができてきたが、その主たる活動は、ベトナムと北海道をつなぐことと、農業を中心とした第一次産業の更なる活性化と北海道産品の海外展開のお手伝いだ。
北海道の農家の規模は本州や四国に比べて、桁が違うというのは若い頃から知識としては知っていた。北海道に来れば、広大な田園風景や酪農の様子が見て取れる。
米国のカリフォルニアの農業視察をしたことがあるが、そこまでのスケールまではいかなくても、日本の中では、突出して大規模農家が多い。
さりとて、そういう農家とつながりがあった訳でもないし、つながったところ、今のところ、何かビジネスで関係しそうなことがすぐにある訳ではない。
私の実家が農家であることは、このブログでも書いたことがあるが、今は、実弟が後継ぎをしている。鳴門金時の専業農家で、約4町を耕作している。これは徳島の川内町界隈では、規模は大きい方だ。
そもそも、大きい小さいの感覚は、相対的な比較によるものであるから、大原さんの農業の規模は、私の感覚では決して小さくはないのである。
こういう相対的な比較の話は、海外で活動していると日常である。
私は180cm弱なので、日本人としては背が高い方だ。米国に行くと普通。ベトナムに行くとジャイアンとなる。
例えがあまりにも単純な話だが、私は、こういう感覚は何事においても大切だと思っている。
日本の農業の話に戻ると、そもそも、実に多様である。限界集落と呼ばれて存続が危ぶまれている場所での農業もあれば、中山間地域での農業もある。
この北海道のように大機規模農家が当たり前の場所もある。もちろん、気候も環境も土壌も違う。だから、同じ農業はないと言ってもあながち外れてはいないと思う。
特に水田は、規模を大きくしないと、収益の確保は難しい。だから、何を作付けするかによって、大きい小さいの判断基準も変わってくる。
大原さんの名刺を見ながら、こんなことが頭を駆け巡った。
北海道の小さな農家の世界と、徳島の小さな農家の世界と、新興国ベトナムの小さな農家。スケールや環境はまったく違ってはいるが、大きな世界ではなく、小さな世界で営まれている農業はやはり大切にしないといけないと思うと当時に、日本も世界も農業の本当の課題はこの中にあると改めて思う。
生産性を高めるのにも限界があるし、今どきのマーケティングはやはり、安定供給と言う名のもと、量がモノを言う。
これは、今まで連綿と続いてきた経済メカニズムの限界であると私は思っている。
そろそろ、お金を稼ぐ経済の仕組みだけではなく、大切なものを守るための経済活動がもっと増えてこないといけないと思う。
以上