[本文引用]
信念やポリシーというのは、人生において大切だ。自分の人生哲学という言い方をしても外れてはいない。
いつの頃からだろうか。
私も考えることは好きである。というより習慣と言ったほうが正確かもしれない。何をしていても考えている。ついつい、考えることに没頭して、周囲が意識に入らない時もある。
時と場合によるが、そういう意味では集中力は高いと思う。と言っても、考えることを意識している時もあれば、無意識の時もある。意識して考えるのは、概ね仕事であり、ドラブル対応や段取りをするときである。
仕事を長年していると、自然と、考えることも変化してくる。簡単に言うと、昔は考えないと出来なかったようなことでも、今は、無意識に考えは浮かぶようになる。
それは場数を積んでくると、脳のどこかに、幾つのも思考パターンがインプットされているように思う。別の言い方をすれば、筋力トレーニングのようなもので、考えることを日々重ねていると、きっと、考える筋肉が成長するように思う。
考えることに慣れてくるのと、都度都度の真剣な思考が脳にインプットされ蓄積されていくと思っている。
考えるに近いものに悩むがある。若い頃は、両方は混在していた。
もちろん、今でも、未経験の領域に遭遇とする、混在モードになる時もあるが、仕事の平時だと、これは完全に分けて考える。
仕事で悩むということは、実は、それほどない。だが、自分の体調や心理的なもの、周囲との人間関係など、ほとんどの場合が、考える事以前に、見通しが立っていなかったり、ただ単に不安だけが先行してしまっていたりすることが多い。
そんなときの解決方法としては、それでもとりあえずやってみる。これでもそうそう外れることはないが、それよりも、まずはじっくりと見通しを立てるために、現状の把握をする。
どういう問題が生じているのか、その深刻度は・・・。解決するために使えるリソースは?時間的猶予は?仮に対策が上手くいかなかったとき、つまり、最悪のケースは?
こういう関係することを全部把握するのが先決である。ある程度、そういう見通しが立ってから、ああでもないこうでもないと考える。そうすると、過去の思考経験がどこかで働くのである。
こんな風に考えても、確定的な事は言えないが、私の経験上、考えれば考えるほど、いますぐには役に立たなくても、それが積もり積もって、将来、いざという時に役に立つことは、沢山ある。
また、自分が考えることができるという自信にもなる。
ところで、考え方がぶれないという意識も大切であり、信念の人や軸がぶれない人と言われて、信用が高まる要因でもある。
とはいえ、人間は完ぺきな人はいない。また、仮に死に間際になっても不完全だらけだと思う。
私もそろそろ還暦になるが、今までを振り返り、これから先を考えた場合、知らないことだらけ、経験していないことだらけ、そして、世間には、あまりにも沢山の他人の知恵や経験がある。こんなことが少しずつ見えてくると、なおさら、不完全なまま人生終わるのだろうと思う。
そして、また、それが人間の性だとも思う。つまり、不完全だから、次の世代に伝承されていく。考えると言う事は、結局、自分だけの世界ではないと言う事だろうと思う。
そう考えていると、人ひとりの人生の中で、考え方や考えは変わって当然だし、そういう変化があってこと、考えや考えることは進化するのだろうと思う。
考えることは、学びでもあり葛藤でもある。人間だけが考えることができるとしたら、やっぱり、考えて考えて、この先も人生を送ろうと思う。
以上