[本文引用]
宇宙旅行が当たり前になりそうな時代。
私がアポロ11号の月面着陸を見たのは、確か小学生の頃。家に黒電話はあったと記憶している。
今、世界中の人とリアルタイムで顔を見ながら話しすることが論理上はできる時代。
メタバースとやらも、いよいよ実用化されそうだ。リアルはいつまでたってもリアルであることは疑う事のないことではあるが、リアル拡張が当たり前になった時、人間の営みはさらに劇的に変わる。悪用されないことを願うばかりだ。
私と同世代位の人にとって、この数十年の世の中の変わりようには驚くばかりだ。
こういう変化、進化のベースには、科学技術の発展がある。昔、人間は、石器道具などのツールを使いだした。それが何万年の時を経て、現代の私たちの生活の基盤や社会インフラに発展してきた。人間は、自らの拡張装置を次々と生み出してきたと言える。
都市にしても交通機関にしてもそうだ。何もない状態を想像してみたらすぐにわかる。移動は自動でできる場所が増える一方、ビルディングにしても、見えないところでIT活用がどんどん進む。
まあ、別段、深く考えなければ、今の環境にどっぷり慣れてしまう日常があり、この先どうなるのかは想像してみるが、結局は、新しいツールが登場したら使ってみて、そのうち、有効だと認知されれば、当たり前のように、また、今の私たち人間の営みの基盤として組み込まれる。
何度考えても、人間が向かう先がどうなるのか?何を達成したいのか?単に流されているだけなのか?ゴール無きレースをしているだけなのか・・。私が生きている間に感じる変化や進化は、ほんの点にも過ぎないのであるから、結局、人間の存在とは何かは分からないのだろう、と思う日々である。
ところが、リアリティというのは、別格の感覚がある。
私にとって、その一つが、神戸市と淡路島の淡路市を結ぶ、明石海峡大橋である。
私の故郷が徳島であり、神戸から徳島に帰る時には、必ず通る。また、最近、淡路島での仕事などの用事が増えてきた。1年で数十回は、橋を渡っていることになる。
完成してもう30年近くたつので、単純計算で1000回は、この橋を渡ったことになる。もうそろそろ、この橋を渡る感動や驚きは無くなってもよさそうなものだが、全くそういう感じがない。
むしろ、最近は通るたびに、“人間がする事”に想いを馳せる。冒頭で書いたが、ハイテク機器やITの進化も実感としては感じるが、見えなかったりそんなに身近でなかったりする。
ところが、明石海峡大橋位の巨大なつり橋になると、橋を通過している時、神戸側、淡路側から眺望を楽しむ時、はたまた、橋の下をフェリーなどでくぐる時、飛行機から見下ろすとき。
実に様々な楽しみがあるのであるが、これを土木建築の技術という視点が考え出すと、人間がする事の凄さや深さをひしひしと感じる。そもそも、人間の大きさとこういう巨大な橋やビルディングを比べてみると、特にそれを実感する。
もちろん、古代のエジプトのピラミッドや日本のお城の建造にしても、想像を超えるものがあるが、それは人を大量に投入して行ってきたことだ。少しのツールはあったとしても、今の巨大な橋や高層ビルの建造とは次元が違う。もちろん、建築が専門であるので、施工のやり方や現代の技術などは、それなりに頭にはあるが、明石海峡大橋が私にとって身近なだけに、どうやったら、人間はこんなものを造ることができるのか?
それこそ、何万年の積み上げだと思うのだが、この巨大な橋は、私の人生にとって、とてもウエイトが大きくなり続けている。
ほぼ必ず、この橋に近づいた時は、様々な角度から鑑賞しつつ写真も撮る。今までもベトナム人の友人も案内したこともある。沢山の人にこの橋を観賞して欲しいのと同時に、人間のする事のすごさを感じてほしい。
以上