[本文引用]
部分最適と全体最適。
これは常に二律背反する関係にあると思えるぐらい、世の中には、こういうジレンマは多い。
大きな視点で見れば、地球環境や世界平和の事を考えてみても、このことは直ぐにわかる。
基本的に、国家と言う単位で、自国のメリットや利益を優先する。領土争いにしてもそうだし、環境問題にしてもそう。極端な話し、自分のところだけが良ければ、他の国の優先順位は低い。
例えば、感性の豊かな子供から見れば、地球は一つなんだから、皆がお互いに全体の事を考えて、仲良くしましょう。譲り合いましょう。時には我慢しましょう。こんなことを学んでいるだろう。
少なくとも日本の教育はそうだと思っている。決して、争うように、自分の利得を優先するようには教えない。
一方で、ビジネスの世界で健全経営の根底の考え方として利他の心というのがある。ビジネスにおいても、自社の利益を優先するのではなく、如何に顧客のため、人のため、社会のために貢献するかという考えである。
私のお付き合いさせていただいている経営者は、そのような方が多い。
こんな風に考えていくと、全体をよくする、つまり全体最適から考えていけばよいものだが、なかなか、人間はそうはいかない。どうしても、部分最適が優先される。
その根底には、人間が本質的に持っているエゴというものがあると私は思っているが、他には、無知もあるだろうし、他の事を知らない、知ろうとしないこともあるだろう。自分の所しか見えていなければ、自分の所を優先している感覚が、そのまま全体最適感になる。だからこそ、他がどうなのかを知っておく必要がある。
例えば、環境問題にしても、日本の中だけしか知らなければ、あるいは、今の日本しか知らなければ、日本は環境に対しては、先進国のようにも思える。実際はそうでなくても、日本だけがちゃんとしていければ、地球は何とかなるという錯覚も生じるかもしれない。
今、世の中は、知ろうと思えば、世界中の情報が入手できる時代が進展している。ネットの恩恵であるが、個人の情報発信も日増しに盛んになってくる。言論統制や情報統制の国であったとしても、今は、以前よりは、現場の生の情報は発信しやすい。
だから、私たちは、その気になれば、今、世界のどこで何が起こっているかを知ることが可能になった。これはどんどん進んでいくだろう。今までは、国や企業や組織が知っていただけの情報にも一般市民もアクセスできるようになる。
環境問題やコンプライアンスの観点から言えば、エシカルの考え方には期待できる。これは今、市民運動的に拡がっているという実感がある。
商品の原材料が健全な方法で調達されているか、不正はないか、搾取はないかなどを生活者が判断できる時代が近づきつつある。つまり、世の中やビジネスの仕組みの見える化が進んでいる訳である。
生活者は、基本的に個人の単位だ。
エシカル消費の考え方が進めば、個人最適が実現する。いきなり、全体が変わることがなくても、健全な個人最適が拡がって、つながっていけば、全体最適に近づく。
部分最適と全体最適の二律背反のジレンマは、永遠になくならないかもしれない。
しかし、健全な個人最適がベースになって、活動し続けていれば必ず全体最適に変化が起こると思う。ここで言う、個人最適とは、環境の問題で言えば、エゴライフではなく、エコライフであることは言うまでもない。
以上