[本文引用]
人間関係。
これは深くて重くて複雑な言葉だと思う。
そして、様々な人間の営みの中で、この言葉が引用される場面は多い。人間関係が良好か、あるいはその逆という短絡的なものではないが、人間は社会的動物だけに、人間関係から逃れられないと思う。
そもそも、社会的動物だから人間関係という言葉が、存在するのだと思う。単純に考えれば、人は他人と関係をもって生きている。家族、会社、大学、コミュニティなど実に多様な人間関係がある。これは社会と言ってもあながち的外れではないと思う。
そもそも、実際に会ったことがなくても、影響力のある人や人生の羅針盤となるような方は、国内外限らず、自分の人生に何らかの影響がある。そう考えると、人間関係は無限にあるとも言える。
ただ、それは、結局、自分が基点であって、人間関係の多さや深さなどは、結局自分の気持ちや想いで決まると思う。
私のように、会社経営をしていると、正直、余計な人間関係に巻き込まれると事が多い。
経営者同士でもそうだし、少ながらず、経営をするという事は、利害関係者との人間関係は、責任のある範囲でついてまわる。常に気になる存在でもある。
そして、ビジネスである以上、商売として利益を出さないといけないので、そうなると単純に馬が合うとか考えがあうだけでは、ビジネスの世界では続かない。そう考えると、やはり、ビジネスと私的なところの人間関係は分けられるのが理想的だが、世の中そんなに簡単ではない。
実際、分かれていると長年思っていても、実は、公私の関係がつながっていることは多々ある。たまたま、そのつながりを知らなかっただけで、すでに10年も前から、どこかでつながっていることなども山のようにある。
これは、人生が長くなればなるほど、感じる。
私が好みの中島みゆきさんの“糸”という有名な歌がある。会うべくして会うようにできていると考えるのが自然に思えるのである。
さて。人間関係が良好であれば、特に言う事はないのだが、そうもいかない。仮に数年間良い人間関係だったとしても、お互いが変化したり、私たちを取り巻く社会の環境が変わったりすると、人間関係はとても影響を受ける。
だから、10年も20年も良好な関係だけが長く続くと言うのは私自身を振り返ってもなかなかない。ある時期、急にコミュケーションが減って、気付いたら、2、3年連絡もお互いにとっていないと言う人もいる。
ただ、ある意味、変な時代で、連絡はしていないのだか、SNSではつながったままで、見ようと思えば、その人の様子が見えるし、時々、突然、投稿が目の前に現れたりする。
実に変な人間関係の社会になったものだとつくづく思う。
人間関係が良好でないと、それは大抵の人にとっては、憂鬱になったりストレスの原因になったりする。
簡単に言ってしまえば、そういう時は、完全に付き合いを断ち切るか、修復の努力をするかだが、どちらにしても勇気もいるし心労にもなる。だから、人間関係は自然体が一番良い。
やっぱり、私としては、一人でも多くの人と良好でありたい。特に、ちょっとしたことで、誤解が生じて関係が悪くなった人や、たまたまの巡り合わせで疎遠になったように感じる人。こういう人達とは、随分先になったとしても、また、どこかで巡り合い、あの時はこうだったよね。といえるような人間関係でありたい。
人間関係と言うのは、実に悩ましく一筋縄ではいかない。だから、生きることは、おもしろいのだろうと思う。
以上