[本文引用]
かつて今ほど、リスクを意識した時代があっただろうか?今、仕事しても普通に生活しても右を見ても左を見ても。リスクという言葉のオンパレードである。
私も仕事柄、企業支援をしている中で、リスクマネジメントや情報セキュリティリスク対策の仕事をしているので、リスクについては、それなりに精通しているし、敏感だ。
そもそも、会社経営をしていると、一般的に働いている人から見たら、リスキーな状態にあると思う。
リスクテイク、リスクヘッジ、リスクコミュニケーション、リスク対策(コントロール)などなど、私たちの身の周りは、リスクという概念を否が応でも意識させられる状態にある。
リスクというのは近い将来良くないことが起こる可能性の事であるので、こう考えると、個人的にも色々ある。車や飛行機の事故と言う事もあれば、健康を害する可能性もある。何かと、心配が多い世の中である。ニュースでは、事故や事件、良くない出来事の事例が毎日放映されている。否が応でも、明日はわが身と言う感覚に陥る。
きっと、ニュースなど見ず、日本の田舎の農村などで穏やかに暮らしていれば、気になる主なリスクと言えば自然災害だけになるように思う。
当然、人々は、リスクに敏感な人、鈍感な人、無知な人、やたら詳しい人、痛い体験を沢山している人、今まで順風満帆すぎる人など、多様だ。
千差万別、生活している環境や関わっている仕事、人間関係など様々な事に影響を受ける。
だから、同じリスクという言葉でも、100人いたら100通り感じ方があるように思う。
これをひとたび、組織としてのリスク対策と言う風に、テーマを絞っていくと、難しい話も沢山出てくるが、結局は、人はリスクに敏感な人と、鈍感な人に分かれると思っている。リスクに敏感で仕事ができる人、反対に言えば、仕事ができる人はリスクに敏感である。
仕事に置き換えれば、リスク=仕事に失敗する可能性と言い換えることができる。そうすると、仕事ができる人は、失敗の予兆をどれだけ事前に潰していけるかである。
こういう風に考えると、組織のリスクコントロールというのは、概ね人員の上位20%の人が、残りの80%の人をどうコントロール、マネジメントするかにかかっている。
もちろん、これは簡単ではない。どんな組織でも、あてはまる法則通り難しい。
私たちは、人間を性善説、性悪説で考えるのではなく、性弱説で考えて、企業支援のリスク対策の基本の考えとしている。
人間は、うっかりミスをする。これはヒューマンエラーの部類の話である。怠惰であり、規則正しく定期的に継続して何かをすることは苦手だ。まして、発生するかどうかわからないことに対して、来る日も来る日も、対策を含んだ活動を習慣化するというのは至難の業である。
個人的に健康管理に置き換えたらよく分かる。
若いときから健康管理をシビアに考えている人は、ほとんどいない。やっぱり、だんだんと歳をとり、どこかに不具合が出てきて、病院通いが増えて、そして、健康管理の大切さに気付く。なかには、ある日突然大病になってはじめて改心する人もいる。
こういう人間の本能的な特性、リスクという意味で言えば、弱点をどうやって克服するか。
こんなことを日々考えながらも、思っていることがある。
日本は、私が生まれたあたりの何十年かのしばらくの間、平和過ぎたのだと思う。それだけ安定していた時期が確かにあった。その反動で、今は、リスクに必要以上にナーバスになっているように感じる。
新興国に行くと、それを常に痛感するのである。新興国と比べた今の日本は、とてもリスクが少ない環境にあることは認識しておいた方が良い。
以上