[本文引用]
先日、久しぶりに、前職の先輩と食事した。
前職とは、私が独立する前の会社である。
先輩とは、創業してからも、色々とお付き合いしているし、お世話にもなっている。
前職というのは、今から、33年ほど前に、新しくできた会社である。
先輩は、親会社からの転籍、私は、全くの中途採用ということで、一緒の会社になった。それ以来のお付き合いである。
その当時は、先輩は部長、私は課長だった。
コロナ禍もあったので、長い間、食事していなかったのが、2時間ほど昼食を食べながら、これから先の話と、一緒の会社働いていた当時の事を面白おかしく懐かしく、色々と話した。
この当時、若者だった私たちと先輩は良く、居酒屋にいったものだ。
飲み会での先輩の口癖が“明日は明日の風が吹く”だった。当時は、若い私たちは、この言葉は深くも重くも受けてとめていなかった。単なるジョークネタぐらいに思っていた。
先日の昼食で、またまた、“明日は明日の風が吹く”の話題になった。
流石に、あれから30余年、お互いに色々とあった。先輩であと10年現役かどうか。
私も、9歳違いだから、ゴールは近づいている。
こういう時に、この先どうするかをあれこれ考えるとしても、結局はなるようになるさ。
妙に意気投合した。
考えてみたら、家族以外で、これだけ長く一緒に人生を過ごしている人も他にはそうそういない。
ご縁か馬が合うのか、海外もよく行った。ゴルフも昔は日本でも海外でもご一緒した。
私自身、計画通りに人生を生きようとは思っていないタイプであり、先輩もそういう感覚が強い。だから、今でも波長が昔と変わらず合うのだと思う。
日本は、先進国の中では突出したストレス社会である。この20年ぐらいの日本を海外から見てきて、日本人は総じて真面目過ぎるのがマイナスに作用しているように思う。高度経済成長期は、これで良かったと思うが、今は先々のレールがだんだんと危うくなり、レールは自らが創り出す時代になった。
世間では、共生や共創と言う言葉が、特に目立つようになった。私も好きな言葉だが、ストレス社会の中で、こういう美しい言葉を並べても、現実感は薄れる。
どこか根底に、自由で柔軟な発想と行動があってこそ、共生や共創は活きるし実現の可能性が生まれると思う。決まりきったレールにしがみついたり、今あるものを守ろうとしたりする中では、共生や共創は生まれない。
それこそ、“明日は明日の風が吹く”ぐらいの軽やかなノリと、どこかで開き直り。少々の回り道や困難で一喜一憂しない。こういうおおらかな空気が日本に充満して欲しいと思う。
今でも田舎に行けば、都会とは違った空気感がある。テレワークが当たり前になった今こそ、柔軟な仕事環境や生活環境に馴染んでいった先の日本には期待したいと思っている。
以上