[本文引用]
久しぶりに聴いた歌が、脳裏を駆け巡る。
車で走っていて、何気に自動選曲された歌だ。
今は便利と言えば、便利な時代。スマホとカーステが連動していて、ある意味、勝手に歌がかかる。もちろん、自分がスマホに何らかで選別しているからであるが、そういう意味では、基本、私はカーステで何が流れるかは気にしていない。
井上陽水の“人生が2度あれば”。
実に味わいがある。
私が30代前半の頃に、頻繁にカラオケで歌っていた。今から25年ぐらい前。その当時は、カラオケボックスではなく、いわゆる昭和のスナック通いだ。
歌う事は嫌いではなかったので、行きつけのスナックでカラオケ大会を楽しんでいた時期がある。そんな時、私は受け狙いもあって、この“人生が2度あれば”を絶叫していた。
当時、30代の私にとって、この歌の意味を嚙みしめるほど、人生を味わっていない頃。あれから、25年が過ぎ、自分が、この歌詞に登場する両親の年齢に近づいていることに、気付いた。
30年ほど前と言えば、今のように高齢化社会の問題が顕在化はしていなかった。定年も60歳の時代だ。だから、この歌詞の年老いた父は65歳、母は64歳。歌のタイトル通り、人生が2度あればと、後悔と悲哀の歌だ。と私は想う。
若い頃の私は、妙にこの時代背景と歌詞の一言一言が気に入っていた。シンプルにその当時の想いを書くと、30代の私から見たら、60歳ぐらいになって後悔したくない。人生が2度あればと思うような生き方をしたくないよな。こんな風に想っていた。
そう、自分の未来の道しるべのような気分で歌っていたかもしれない。それと、背景には昭和の高度経済成長期にも、貧しい生活をしている人がいるんだという妙なコントラストが印象深かった。
実際この歌のリリースは、1972年。今だったら、この歌が、流行るだろうかと考えてみる。
今は、高齢化社会真っただ中。
この歌詞の内容のように、人生を振り返る人が沢山いそうだ。あまりにもこの歌詞が切実で、リアル過ぎのように思う。ただ、今は、60代で人生を振り返る人もいるだろうが、現役感バリバリ世代に変わった。今の時代に合わせるとしたら、おそらく70代後半の設定になるだろうか。
そして、人生100年時代、生涯現役を目指す人も増えてきた。人生を後悔するどころか、生涯充実した人生を全うするべく、未来を見つめる人も増えてきた。ただ、残念ながら、まだそれはごく一部だ。
人生は延びたけれども、現実は、この歌にあるように“人生が2度あれば”と後悔の念を抱く人は、増大していると想像する。
考えてみれば、人生は一度きりである。これは人間皆平等にそうである。何をもって充実した人生と言うかどうかは、個別の価値観であり尺度である。何かと比べるものではない。
近い将来、昔こんな歌が流行った時代があったね。人生は一度だけど、本当に楽しいね。こんな日本になるように、少しでも貢献したいと思う。
またカラオケに行く機会があれば、30年ぶりに、“人生が2度あれば”を絶叫したいものだ。その時は、自分がそんな後悔はしていない前提ではある。
以上