[本文引用]
気配りができる人は仕事ができる人。
これは、間違いない事実である。もちろん、気配りだけできても、仕事にはならない。特定の業務や専門的な事に精通してはじめて、気配りも活きる。
今、世の中で働いている人で、気配りが本当にできる人はどれだけいるだろうか?統計を取った訳でもアンケート調査をしたわけでもないが、私の長年の感覚では、10%いないと思う。もちろん、オールオアナッシングなのではなく、あくまでも段階的なものだ。
例えば、英語風に書くと、エクセレント、グッド、フェア、プアー。ちなみに、これは、ベトナムなどでのゴルフ場のギャディに対するプレー後のプレイヤーからの評価基準だ。意外とよくできていて、これは、どこの世界でも通用すると思う。
仮に、そんな気配り評価制度があるとしたら、エクセレントは、10%はいないが、私が仕事してきての実感だ。私も今まで多くの社員を受けて入れてきた。顧客としての企業の社員研修もそれなりに行ってきた。出来る事なら、新戦力の全員が気配り力抜群であってほしい。と毎回そう期待しながらも、現実は、一定の比率に落ち着く。
私の創業間がない頃、社員研修には相当力を入れていた。自分も未熟な中、自分自身も学びながらの研修現場だった。気配りについて、本のタイトルは探さないと思いだせないが、とても印象的なくだりがあった。
そもそも、天性の気配りが得意な人がいる。そういう人は、自然と、気配り力は発揮できる。だから、教える必要もない。先ほどのゴルフの評価で言えば、エクセレントだ。それ以外は、努力で身につけるものだ。こんな内容だった。私は、これには我が意を得たりの気分だったし、それ以来、私は、この基準をベースに社員には教えるし、社員以外にも求められれば教えるようにしている。
要するに気配り力は、学習によって、マスターできるということである。
そう考えると、天性としてあり、さらに磨きをかけるのが理想だが、他の事例でも同じこと。人間は天性のものだけで生きている訳ではない。仕事もそうだ。天性だけでするものではない。そういう人は、それを思う存分発揮すればよいが、気配り力が天性のものでなくても、ちゃんと学んで、努力すれば、ゴルフの評価のGOODは達成できるのである。
難しい言葉で、慮る(昔は、おもんばかる、だったはずが、今はおもんぱかる)がある。
こういうレベルで考えると、とても難しくなる。
そうではなくて、仕事において気配りはなんのために必要かを理解することが大事である。気配りというのは、単に優しく声をかけることではない。余計なお世話をするものではない。こういう感覚が横行すると、徐々に甘えの集団になっていき仕事のレベルは下がっていく。つまり、傷のなめ合い、かばい合い集団になって行く。
シンプルに仕事は、プロとしてチーム力や組織力を発揮して、結果を出さないといけない。新入社員からは見えなくても、組織の長や、プロジェクトの責任者は、状況次第では、猫の手も借りたい。ちょっとした、でもとても大事な事を誰かにカバーして欲しい。こんなことは、日常茶飯事だ。
新人の頃は、コピー一つでも大事である。単にコピーして上司に渡すだけではなく、ちょっとした気配りは幾らでもあるのである。難しいけれども、簡単に言えば、相手がしてほしいことを察知する。余計なお世話ではなく、相手がしてほしいことを仕事の基本として学んでおく。
これは仕事ができる人と一緒に仕事していれば分かる事でもある。
以上