[本文引用]
子供の頃、人生ゲームでよく遊んだ記憶がある。
この頃は、人生と言う実感はあまりない頃だったと思う。結婚や出産、不幸など、色々と人生の体験ができ、人生には色々と運も不運もあるもんだと、子供心にも感覚的に実感するゲームだった。
この人生ゲームはネットで調べると、1960年に、アメリカで生まれ、1968年に、日本ではタカラトミーが発売したとある。今でも人気のゲームのようだ。
今では、映画のタイトルになったり、スマホアプリになったり。人生ゲームという言葉の響きだけでも奥が深い印象はある。
2年ほど前、お付き合いさせていただいている会社の社長が、"なべちゃんすごろく"というのを作ったからとおっしゃって、いただいた。それが今もわが社にある。
時々眺めながら、たまに実際にすごろくをやってみる。長年の歴史がある会社だけに、昭和の出来事と連想できるように作られている。このすごろくには、振出しに戻るというのがやっぱりある。
子供の頃の人生ゲームにも振出しに戻るがある。この人生ゲームの振出しに戻るという意味は何なんだろうかと考えてみたい。
ちなみに、振出しに戻るを調べてみた。
デジタル大辞泉には、物事がはじめの状態に戻るとある。事例として、計画は振出しに戻った。
感覚的には、良好な状態ではない。良くないことや失敗が起こった感覚だと思う。人生ゲームであれば、スタート地点からやり直すだけのことであり、これを繰り返していると人生ゲームのゴールにはなかなか到達できない。
では、実際の人生で振出しに戻ることがあるのだろうか。例え、何かにトライしていて、失敗したとしてもそれは振出しに戻るとは言えない。少なくとも、失敗するまでの体験は何かに活かせることが多い。これはスポーツでもアートでも仕事でも同じだ。だから、振出しに戻るという感覚とは違う。
あらためて、人生において、物事がはじめの状態に戻ることはないようにも思う。少なくとも自分が何かを体験することによって、得ていることがあるはずだから、何らかの学びや進歩があるのが自然だ。ゼロからやり直す。とい感覚とも違う。
話は変わるが、人生には、上り坂と下り坂に加えて、もう一つの坂があると言われる。
それは、まさかであるが、確かに、私も60年近く生きていると、上り坂下り坂の経験は言うまでもなく、まさかの体験も結構ある。
阪神大震災に遭遇した事や最近だったらコロナ禍である。会社経営をしていても、ITバブル崩壊やリーマンショックなども経験した。
こんなことを繰り返していると、まさかは起こるもんだと心の備えはできてくるし、たとえ、何が起こるか分からなかったとしても、まさかの時に、何らかで対処できるようにしておこうとは思う。それは、何かを準備すると言う事もそうだが、それよりも、気持ちの持ちようなのかなと思う。
そんなことを考えていると、超久しぶりに、今どきの人生ゲームを楽しんでみても面白いかもと思っている。
以上