[本文引用]
運命的な出会い。運命的な再会。
長い間、生きていると加速度的にこういうことが増えてくる。
先日、私が行きつけのスポーツクラブでの帰りのエレベータ。ふと、近藤さんと声を掛けられた。マスクしていたので、最初は気づかなかったが、知り合いの社長だった。
お互いにここに通っていることは知らなかった。少しだけ話したが、私は水泳、彼はトレーニング。確かに接点は少ない。とは言え、ロッカールームは同じだ。仕事で付き合いの長い社長だが、それこそ、こんなところで、ばったりという再開に驚いた。
最近よく考えるようになった。もちろん、私は神様が仕込んでいるとも思わないし、あまり運命的な出会いとも思わないのだが、ここで、ばったり会ったことで、お互いの意識が高まる。
この1年ぐらい、ずっと連絡しようと思っていた相手だけに、余計に思考は巡る。
ここであったと言う事は・・・。
すぐに面会調整してとする行動もあるし、ここで数分でも話した事で、長い付き合いの相手なので、久しぶり感が一旦なくなった。だから、急ぐ必要はない・・こんなことを考えながら、改めて、たまたま人に会う意味を考えてみる。
たまたま人に会うことによって、その瞬間に自分の意識や行動が変わる。それは相手も同じだ。以前こういうことがあった。経営の大先輩。年に一回会うか会わないかの方と、東京オフィス近くの五反田駅、JRに乗り込もうと開いたドアの目の前に、その方がおられた。
乗り込んで一駅だけの立ち話。この時は農業の話だった。私は、こういう時は、ポジティブに考えて、早速、面会のアポをとる。
ただ、私はこれを神様がくれたチャンスとする運命的な何かとは思っていない。私の場合は、それは確率だと思っている。実際に、そういうことを理論的に解説した類の本を読むのも好きだ。
どういうことかと言うと、人間と言うのは、めったにいかない思いがけない場所で、久しぶりの人にばったり会うと、そこだけクローズアップして、絶対に何かある、必然だと思う人が多い。
ただ、少し客観的に冷静に考えてみると、自分の知り合いが、今、世界中のどこにいるかを知っている訳ではない。そして、それぞれの人は計画通り動いている人もいるが、突然予定が変わる人もいる。ただ、一つ言えることは、必ず、今時点でもどこかにいる。
自分はどうかと言えば、同じようなものだ。
私は、今、神戸の自宅でこのブログを書いている。朝の4.00なので、流石に私は外出をしていない。だから、たまたまの出会いは起こらない。今日の私の予定は一応決まっているが、それでも変更はあり得る。
私の知り合いが仮に1000人いるとして、この1000人の一人とたまたま、どこかで会う確率は相当低い。日本人だけとっても、色々な場所にその人たちはいて、今日も移動するだろうからだ。私も移動する、私の知り合いも移動する。出会う確率は、ますます低くなる。
だが、常に、それはゼロにはならない。こんな風に考えるのが私は好きで、だから、たまたまの再会も、会いたいと思っていた人にたまたまあっても、それは運命のいたずらとも思わない。もちろん、話題作りとしては、そういう言い方をするのが好きである。人を盛り上げるのも好きだからである。
こういうことを考える時に、反対のことを考えると面白い。電車に自分が飛び込んだ。となりの、車両に知り合いが乗っていた。乗る車輌によって出会いは変わる。飛行機でも同じだ。搭乗後に出会うこともあれば、機内で出会うこともある。到着の空港で出会うこともある。でも、手会わない人も沢山いるはずだ。
こんなことを考えると私は実に楽しい。だからこそ、わずかな確率で出会ったことを大切にするしポジティブに考える。
以上