[本文引用]
昨年末、一昨年に他界した母親の1回忌の法要があった。私が子供の頃の法要は、大人数で、知らない親戚のおじちゃんおばちゃんが沢山集まっていた。子供心としては、特別な食事がいただける日、そんな印象がある機会だった。
あれから数十年の間に、どこでもそうだと思うが、集まる親戚の数も少なくなってきた。ご年齢も年々高くなる。私は、農家の男3兄弟の次男。色々とあって、今は、弟が実家の農業を継いでいる。鳴門金時と言うさつま芋を作っている。
私も兄貴も徳島県の外で長年暮らしている。そんな訳で、男3兄弟が集まることは、こういう機会ぐらいしかなくなってきた。よその家は、分からないが、うちの3兄弟は、仲が良いと思う。
この法要の時も、3人で色々と将来の事で盛り上がった。共通の話題は、農業の事、老後の事。
考えてみたら、私と兄貴は一つ違いで、弟は私の4つ下。世間から見たら、農家出身のおじさん3人である。
世間と一緒で3人の性格は皆が全く違う。昔は、考えの違いと言うのは結構あって、弟とは、意見がぶつかることも多かった。一つ上の兄貴とは、年子と言われて、双子のような扱いで育ったので、性格が似ている訳ではないが、言い争いにはなったことがないような気がする。
まあ、こんなことをつらつら書きながら、年を重ねると言う事を改めて、色々と考える機会になった。
古い話しだが、NHKでヒットした、だんご3兄弟という歌がある。この時は、親しい人たちに、結構言われた。これ、あんたの歌や。確かに、男3兄弟と言うのは、上と下に挟まれた微妙なポジションだ。
世間でもよく言われることだが、子育てをする親からしたら最初の子供は慎重に育てる。何せ、赤ちゃん0歳、親0歳だから自然な話だ。そして、次の子供が生まれる。
私の場合は年子なので、兄貴とは1年半ぐらいの違いだ。そもそも。農家と言う事もあり、共働きは当たり前、次男には、長男ほどはかまわない。多分、ほったらかしだったと思う。
そして、4つ離れた弟。この差が微妙に色々と影響した。先ほど書いたように、小さい頃は、兄貴と私はセット。しかも、性格が全く真逆。おとなしいめの兄貴に、単なるきかん坊で悪ガキの私。そして、小さい弟。
農家と言うのは、子供の頃から、長男が後継ぎとして育てられる。だから、必然的に、私は、高校を卒業したら、家を出ていくのが定めだった。
この当時の徳島からすると、家を出る=都会に出る感覚。
今の若者が都会に憧れて出ていく話とは違って、自分の生きていく場所として、都会で頑張れという感じだ。子供心でもそういう感覚は伝わるもので、漠然と、自分が独り立ちするイメージだけは持っていたと思う。
流石に、田舎でいる時は、自分が会社を経営するとはかけらも思っていなかったし、当然、親兄弟も親戚の人も思っていなかったと思う。悪ガキだったけれども、超引っ込み思案だった私と接していれば、誰でもそう思うと思う。
過ぎた年月を振り替えると、あっという間になる。年に一回しか、兄弟そろって話しすることもないが、お互いが、そろそろ、シニアが近づいてきた。ふと、昔の感覚で話していながら、日本は、生涯現役の時代。人生100年も身近になりつつある。
最近の兄弟との話題も、同じような話題が多くなってきた。こいう兄弟とともに歩むシニアライアが妙に楽しみでもある。
以上