[本文引用]
仕事というのは、世の中にすでに山のようにある。
私の年齢になると、世の中にどんな仕事があるかは、分かっているような感覚に陥るが、いまだに、こんな仕事があるんだと発見すると言うか、初めて知って驚いたり感心したりする。
村上龍さんの“13歳のハローワーク”は、20年近く前の本だが、とても秀逸な本だ。中学生になりたてのこの年齢層に伝えたい世の中の仕事。私達大人が見てもおもろしい。
考えてみたら、私もそうだし、ほとんどの人が、世の中にどんな仕事があるかを知って、網羅的な仕事の中身を理解した上で、仕事を選択したわけではない。
私が子供のころ知っていた仕事は、ど真ん中には、農業。そして、農村で行われている色々な仕事。漁業もあった。道路工事や建築もあった。もちろん、学校の先生の仕事もあった。
こういう田舎暮らしでも、充分に仕事の種類は実感できた。そして、大学では建築系を選んだ。このあたりから、自分の意志で、将来充実する仕事の選択が始まっていたように思う。
感覚的には、親の影響や家庭環境の影響を受ける人も意外と多いと思う。スポーツやアートの世界は顕著だ。芸能界でも政治家でもそういうのはある。
経営者も農家も後継ぎという運命的な仕事がある。企業で働くと言う選択は、私がしたのは、いつ頃だっただろうか?大学に進学すると言う事は、そういう方向になんとなく流されていたと思う。
予定通りと言うか、仕方なくと言うか、企業に就職した。ほとんどの新入社員はそうだと思うが、仕事は、用意されている。簡単に言えば、上司からの指示に従う。こういう時期の感覚では、とても“仕事は自分で創れ”という状態には程遠い。
私のように、創業した上で、仕事をしていると、この“仕事は自分で創れ”というのを誤解する人がいるが、私が言いたいことは、創業しましょうという意味ではない。
仮に創業すると言う事を、仕事は自分で創れという意味で説明すると、世の中にすでにあることを事業とする創業もごまんとあり、そういう意味においては、仕事は自分で創れという意味とはニュアンスが違う。
もちろん、社長業に初めてトライしていると言う身では、独立した本人としては、初体験でも、社長業と言う仕事を自分で創っている訳ではない。
実は、この“仕事は自分で創れ”は、創業間がない頃のブレインワークスの求人広告のコピーだ。
似たような表現は、世の中にあったが、私なりにどんな社員と一緒に仕事したいかというメッセージを、この表現に込めた。
以来、とても気に入っていて、書籍のタイトルにもしたし、このブログのテーマにもしている。
長年、この言葉を意識して使ってきて、今思う事を幾つかまとめておこうと思う。
今の時点での“仕事は自分で創れ”という想いは何か。
一つは、仕事の本来あるべきことは何かを考える。その仕事は社会の役に立っているか、誰かが幸せになることにつながっているか、ただ単に、儲けるだけになっていないのか?その仕事は環境破壊にどこかで関わっていないか?要するに自分がしている仕事は健全かの問いかけである。
次に、自立できているか?新人であって、ほぼ100%仕事は、指示を受ける立場であっても、自分なりの思考、創意工夫、そして、自分が指示する側だったらどうするか?こんな余計な事を考えて仕事をしているかということである。
もう一つ上げるとしたら、仕事は、世の中の変化とともに変わっていく。もちろん、自分の意志で、新たなチャレンジも幾らでも出来る。
そう考えたときに、仕事というのは、常に想像力が重要であり、自分のハッピーライフのための、オリジナルな発想で、仕事に関わっていく。こんな感じである。私自身も、言い出しっぺとして、まだまだ、仕事は自分で創り続けたいと思っている。
以上