[本文引用]
どんな世界にも若返り議論がある。
企業、政治、コミュニティ、プロ野球チーム、地方活性化・・・などなど。しばし、若返りの議論がなされる世界である。
だいたいの議論のスタートは、組織やチームの構成要員の年齢が高くなると、パフォーマンスが落ちるし、弊害が多くなる。それと同時に、若手のチャンスの機会を奪うことになる。こんな話題は毎日のように行われている。
日本の高齢化社会の課題も、全く同じような構図だ。仕事をするかしないの観点だけではなく、高齢になってくると社会の中心でいてはいけないような風潮が日本には間違いなくある。
シニアご自身の、謙虚な考えに基づくものもあれば、社会全体で、高齢者はおとなしくしていて。という雰囲気もある。
最近では、70歳、80歳で、重要な役割を果たしているリーダーは多方面で沢山いる。一方で、70歳でリタイアモードになる人も多い。簡単に言えば、とても多様な時代で、相当個人差があるのだ。
ところが、私達日本人は特に顕著だが、人を年齢で判断する傾向がある。実際に、新聞などのメディアにしても、未だに、年齢が併記された記事が多い。日本以外の先進国では年齢など書かないと聞いたことがある。私達は、知らず知らずに、人を年齢で判断する習慣が身につている国民だと言える。
こんな背景の中、若返りとは何かを考えてみる。
一つは相対的なことだと思う。
例えば、会社なら、社員の平均年齢と言う尺度はよく使われる。企業のプロフィールや求人広告にも定番だったりする。
例えば、平均年齢28歳の会社と平均年齢55歳の会社。比べるとしたら、どう思うだろうか。
きっと、就職活動を控えた大学生だと、前者に魅力を感じるだろう。後者に就職するとなるとよっぽど勇気がいる。
一方、60歳代は普通に現役の時代。仮に68歳に人が、新たに職を見つけるとして、平均年齢55歳の会社を視野に入れた時、それでも若い会社と思うだろう。平均年齢28歳の会社で働こうと言うのは勇気がいる。
今、実際に働く人の年齢構成を考えても、概ね20歳から70歳になって来た。50年働く時代である。単純に考えて、45歳が折り返し点だ。また、60歳を超えて起業する人も沢山いる。こういう層に対して、若返り議論は必要がない。当人が、今が若いと思えば、若いのである。
別の見方もある。何歳になっても現役で頑張っている人に、感動や共感を覚える人も多い。生涯現役の時代。多くの人が目指してほしい。
80歳、90歳になっても、第一線で活躍されている、ご自身の人生を満喫されている方々は、本当に素晴らしいと思う。そして、私たちも勇気や元気をいただく。その役割だけでも価値が相当ある。
いずれにしても、人は年々、年齢を重ねる。何歳になっても、自分が若いと思って活躍する。社会も年齢でどうのこうのではなく、気持や行動が若い人を積極的に活躍してもらう。そういうことが若返りの議論に必要な時代だと思う。
以上