[本文引用]
情報過多の時代の情報リテラシーというのは、なかなか定義が難しい。
一昔前、今ほど情報が溢れていなかったときは、穏やかな時代だったと思う。
もっとも、私も過去に遡れば上るほど、今ほど情報を意識して仕事したり生活したりしてはいなかったので、私の情報感度との相関もある。
実際に、私が仕事する立場で考えて、起業した30年ほど前の昔、私が関心を持っていた情報と言えば、マスメディアの情報、友人知人、出来つつある経営者仲間、といっても、誕生したばかりの社長同士が中心だが。後は、本屋で見つける本。週刊誌などの雑誌。これぐらいだったと思う。
インターネットは存在しなかったから、今のように知りたくなったことを即座にスマホで検索するような事もなかった。今から振り返ると実に平和で穏やかな日々だったと思える。
今は、感覚的に実にせわしない。
四六時中時間に追われているような感じも多くなった。これは私だけではない。
その原因の一つに、情報過多があるのは間違いない。
今は、その気になれば、仕事や生活に関する情報は、スマホなどを使って、幾らでも見つけることができる。また、昔ならあり得なかった人が、SNSなどで情報発信している。沖縄の農家のおばあちゃんがYouTubeしていても驚くことはなくなった。
また、誰かと会いたいと思った時に、探すことも容易だし、ファーストコンタクの敷居も随分下がった。
いずれにしても、情報を意図的にシャットアウトしない限り、平穏な日々は戻ってこないようにも思う。
そこで、私は考えみた。
というよりも、20年以上考え続けているテーマでもある話をしようと思う。
それは、そもそも情報は正確でないといけないのか?ということである。
もちろん、仕事の上では、情報があやふやでは、問題が起こる。品質も確保できないし、納期遅延も発生する。プロジェクトの進捗管理や顧客との約束の履行もある意味情報であり、こういう業務遂行や顧客満足度向上のための情報は、タイムリーさに加えて正確でないといけない。
では、ITや金融といった専門分野はどうだろうか?今、世の中はDXブーム。猫も杓子もITの空気がある。にわかIT専門家が増殖していると想像する。もはや、ITのような分かりにくい、見えにくい世界は、何が正しい情報かを判別するのは困難である。
もちろん、テクノロジーの専門家やプロ集団としてのITサービス会社は存在する。だからと言って、その人たちの専門的な情報を仮に有益だと判断はできても、情報が正しいと判別するのは困難である。
私が、専門でない金融の話であれば、概要的な事と感覚的な事は分かる。今更、専門的知識やノウハウを身につけようと思わない。そうすると、ますます、この分野に疎くなる。
だから、どうするかなのだが・・・・。
少なくとも最低限の知識は更新しつつ、その道のプロ何人かと付き合っておく。困った時にはその人に聞く。こういう程度でとどめておきたい。
なぜならば、私の様な性分は、とことんまで知らないと気が済まないところがある。
ひとたび、金融を対象にそうなってしまったら、他の時間が無くなるのは明白。
言い方を変えれば、専門領域と言うのは、とても奥が深いし、ますます、その専門領域は、その専門家により深度が深まり、細分化され、研究や調査がどんどん進む。
今、そういう情報まで簡単に検索などで見つけることができるようになっている情報社会。
やっぱり、どこかでさっさとあきらめることが大事である。
最近、私が重点的な取り組みをしている第一次産業にしても、専門家が沢山いるわけではないが、一人一人農家さんや林家さんは、本当にご自身の体験したノウハや知恵は想像を超える。
こういう方々と関わる時は、それこそ。自分が素人である方が楽である。
あいまいな情報とどう付き合うか。これからの私たち人類の課題であると思っている。
以上