[本文引用]
仕事は人生の中で、どれだけのウエイトかを考えることがある。
日本人の働き方は、外国からは働きすぎと揶揄されて久しい。当たっているところと、誤解のところもあると思う。他の先進国も働く人は働いている。要は、働き方の問題だと思う。
例えば、創業者が働きすぎと言われるだろうか?ワーカーホリッカーと言われるだろうか?会社員ではないし、そもそも、好きでやっている人が大半だ。自業自得とも言う。
だから、社長自身は、労働基準法には関係がない。会社に属してする労働とは違う。会社法を遵守する立場である。私も、そんな感じで、30年近く働いてきた。
働くと言うことについて、ふと、20代の会社員時代を振り返ってみる。
社会人になって自分がやりたい事は、建築現場の監督だった。建築学科出身なので、妥当な選択だったと思う。ただ、これは実現しなかった。
配属先が電算室になったからだ。そして、3年ぐらい、コンピュータの仕事をした。私は、この当時は上司から理不尽な事をさせられたとずっと思っていた。つまり、積極的に選んだ仕事でもなく、やりたい仕事ではなかった。
ただ、仕事とは不思議なもので、私の負けず嫌いもあって、3年ぐらいしたころに、自信が出来た。コンピュータの世界で飯が食べられると思うようになった。
情報処理関係の資格も取った。調子に乗って20代半ばで、天狗状態にもなった。正直、その当時は、簡単な仕事と思っていた。でも、やりたい仕事とは思っていなかった。
周囲から何かを期待されていたかと言うと、多分、はっきりものを言う人とは思われていたと思う。こんな感じで20代を終わった。
31歳で起業した時は、このブログでも何度も書いているが、ベビー用品のリサイクルビジネス(おさがりの会)を立ち上げた。
これは、私がやりたい事だった。農家の次男坊生まれの体験と、実際に自分の子供のお守りをしていて、ひらめいた。絶対、リサイクルの時代が来ると。
パソコンを使って、管理ソフトを作った。成功するかどうかはやってみないと分からなかった。それをするのが起業家だと思っていた。もちろん、こういう考えは今も変わらないが・・・。
結局、創業1年後に、阪神大震災に遭遇した。そして、おさがりの会は、休止せざるを得なかった。すでに、独立したし社員も数名いたので、食べることを優先に考えた。
すぐにできる事に注力した。それはコンピュータの仕事だ。この時はまだITとは世間は呼んでいなかった。パソコン教室やソフトウェア開発の請負、お客様先の常駐など、できることは全部やった。食べていくためにだ。そして、数年で軌道に乗った。
それでも、やりたい事をやっている感覚はなかった。その当時の、パンフレットに改めて、やりたいことを経営理念として書いた。引用するとこうだ。
<経営理念>
●社会貢献への意識をもって、社会問題に真摯に取り組む。
・環境問題への取り組み
・中小企業支援
・女性・高齢者の労働環境の整備
●未来志向型ニュービジネスの創造
・新サービス形態の提案
・新総合教育サービスの創造
理念を掲げたとはいえ、直ぐにできるものではない。例えば、高齢化社会の課題解決に貢献すると言っても、ビジネスとしては成立するものは数知れていた。だから、せいぜい、構想を語って、人のつながりを作ることに専念した。
そして、月日は流れた。ITの時代が来た。ベトナムでの活動実績も顧客やステークホルダーから評価されるようになった。出来ることが沢山増えた。やりたいことは、これから先を考えると無尽蔵にある。しかし、会社の体力もある、幾らでも時間がある訳ではない。ならば、期待されていることをフォーカスしようと思っている。
自分から発信して、行動を起こしてきた結果ではあるが、創業時から高齢化社会の課題解決、地方活性化、新興国人材の活躍支援、ITの健全な活用など、期待されていることは明確だ。こんな感じで進んでいこうと思っている。
以上