[本文引用]
今、日本では農業に関する関心が確実に高まりつつある。
ビジネスの観点で考えても、私のまわりでもアグリビジネスに取り組む経営者は意外と多い。
また、日本の若手経営者も国内だけでなく東南アジアなどでも新規事業のひとつとして
選択することも増えてきた。
そして、保守的な日本の大企業までもが、農業産業や食関連産業が自社の次の
参入するべき重要なテーマとして掲げているほどだ。
政府は安倍首相のリーダーシップのもと全農の刷新を断行すると宣言している。
先週の日経新聞で2つの記事が目にとまった。
11月29日火曜日の夕刊の1面と12月2日金曜日の夕刊の2面である。
2つの記事では、政府や自民党の改革派メンバーと小泉進次郎氏が中心となり、
『稼ぐ農業』への地ならしを断行しているという内容を伝えている。
農業の変革を常々考えている私としては、この動きに期待も膨らむ。
一方、政治が主導し、ビジネスとしての成長期待が高まる中、
日本の農業の変革には、もうひとつの重要な課題が横たわっている。
それは生活者の意識改革である。
私は、徳島の専業農家出身で、小学生の低学年の頃には、実家で田植えを
手伝ったこともある。
その水田一帯が巨大な装置で海から吸い上げられた砂によって一気に埋め立てられ、
畑に変身していく様子は昨日の事のように鮮明に記憶に残っている。
それだけ子供心には衝撃的なことだった。
一年ほど塩抜きをしてから、一帯はサツマイモの農地に生まれ変わったのである。
今では全国でも有名な「鳴門金時」の名産地。
この動きは国が米の減反政策を始めたころとちょうど重なっている。
私の実家では、二毛作で冬には砂地を利用してのダイコンを出荷していた。
この頃のダイコンはとても高く売れていたようだ。
中学校を卒業するぐらいまでは、農繁期はずっと土日も家の農業を手伝うのが
当たり前だった。
友達が遊んでいるのを横目でうらやましく思いながら、サラリーマンの家に
生まれたかったと何度思ったことか。
大学への進学で神戸に移り住むまでの18年間は農業が生活の大半を占めていたのだ。
そんな原体験があるがゆえに農業のことを考える機会があるたびに、
いまでもふたつのことが必ず頭に浮かぶ。
まずひとつは農業は大変な重労働であるということ。
今でこそ、農業も機械化が進んできて、ずいぶんと重労働から解放されつつあるが、
昔は本当に大変だった。
農業の中でもレンコンは特に重労働であり、昔のサツマイモも重労働の部類に入った。
私が体験したサツマイモの生産について少し紹介したい。
畑を耕し、畝を作り、マルチをはり、そして芋のツルを植える。
そして、定期的な農薬の散布作業。
1ヘクタールの広さになると夏場の農薬の散布は特に大変。
農薬を吸い込むリスクもあり、夏休みのこの手伝いが私自身一番嫌だった。
芋の収穫も重いがゆえにこれまた大変な仕事で、腰を痛めやすい仕事でもある。
私も高校生の時、ぎっくり腰になったこともある。
こんな仕事を色々と手伝っていたので、次男坊の私からしたら早く家を出たい気持ち
しかなかったのである。
もうひとつは“もったいない”精神である。
農家がつくった野菜などは多くが捨てられたり、安値で売られたりで、
とてももったいないと思うことである。