[本文引用]
本書でも「情報」という言葉はすでに随所に登場している。
改めて情報の必要性と情報を知らないでいることの幸せを考えてみたい。
前段でもすでに述べているが、情報過多の時代である。
しかし、十数年前のインターネットが普及しはじめた以降に
生まれ育った若者はどう感じているのだろうか?
情報そのものが過多になっているとは感じていないのでは
ないだろうか?なぜなら、生まれたときからそのような状況なのだから。
慣れとは怖いものである。ICTやインターネットが
この世に存在しなかった時代に生まれた私たちにとって、
現代はやはり情報過多にしか映らない。
まず、ビジネスの世界で考えてみたい。
ある人が起業しようと思案しているとしよう。どんなビジネスを展開するか。
新たなマーケットは存在しないだろうか?
斬新なビジネスモデルを発想したいし、自分が勝負したい分野の
ライバルの存在も知りたい。ワクワクして楽しい時期でもあるが、
さまざまなことが気になる。起業する際は、できるだけ多くの
必要な情報を知りたいし、成功の可能性を的確に判断したくなる。
ところが、知りすぎで起業を断念する人も後を絶たない。
私もそういう人にたくさん出会ってきた。
特に、長年「コンサル的」な仕事をしてきた人はそれにはまりやすい。
知りすぎて、石橋を叩きすぎて、結局リスクしか見えなくなり、
起業への意欲が萎えてしまうのだ。私の場合、ほぼ何も考えずに起業した。
今の時代のように、情報過多で知りすぎていたら私も断念していたかもしれない。
ジャングルの開拓がなぜ楽しいか。それは、誰もが知らない未知の世界が
そこにあるからである。企業の創業時に知りすぎることはマイナスだと
実感している。これに似たような事象がアジア進出の現場でも起こっているのだ。
視察・調査、視察・調査を繰り返し、一向に実行に移さない。
アジアの現地では「NATO(ノー・アクション・トーキング・オンリー)」と
揶揄されている。「口ばかりで行動しない日本人」というレッテルが
貼られているのだ。今の経営者は特にこの傾向が強い。残念なことだ。
知ることも大切だが、ほどほどにしないとマイナスの影響ばかりが強くなる。
もうひとつ、ビジネスの世界で「千三つ(センミツ)」という言葉がある。
アイデアを自慢げに話す人がいるが、アイデアを出すこと自体にあまり意味はない。
本当にまともなものは「1000に3つぐらい」という本質を突いた言葉である。
それくらいの数のアイデアを出し続ける先に成功が待っているのである。
しかし、アイデアがいくら優れていてもやってみなければ結果は誰もわからない。
現代において、ビジネスモデルを考えるとき良いアイデアを思いついたとしても
同時に100人は同じ考えの人がいると考えるのがちょうど良いと思っている。
そこで大切なのはそのライバル候補100人を知ることではない。
まず、誰よりもはやく動き出すことである。
この情報過多の傾向をプライベートにおいても考えてみたい。
ビジネスをオンとしたら、プライベートはオフである。
ところが、情報過多の時代では、この境目が曖昧でオンとオフの
バランスがとれなくなる。今までは、プライベートな世界での人の
情報といえば、家族、友人、信頼できる知り合いぐらいまでであったが、
今ではネット環境で会ったこともなければ、信頼できるかどうか
わからないような人からの情報をいくらでも入手しようと思えば
できてしまう。冷静に考えれば、心を乱す余計な情報が
あふれているということになる。買い物をする場面でも
情報があふれている。企業側の節操のない戦略だから
エスカレートする一方。
そうなると、今度は、自分にほしい情報だけが届くような
機能制限を求めたくなる。
ビジネスでもプライベートでも、本当に必要な情報などは
意外と少ないはずだ。私はベトナムなどに滞在しているときは、
ベトナムの国に関する情報は知り合いのベトナム人などとの話と
自分が街を歩いてつかんだ情報以外を知ることはない。
それに、時々、目を通す現地の英字新聞ぐらい。
当然、情報の「多い・少ない」を気にすることも考えることもなく、
定期的に半月ぐらいを過ごしてしまう。
ビジネスにおいては、もう少し現地の情報を知りたいとは思うが、
社会面の記事になるような情報は基本的に必要ない。
気になれば、ベトナムの友人に聞けば良いし、日常会話での
情報だけで十分である。
10年以上、日本とベトナムを往復していると、日本国内は
なんとせわしないのだろうと、帰国するたびに実感する。
最近、日本の地方に行くことが多い。東南アジアでも
農業ビジネスの関係などで、田舎に行くことも多い。
田舎は日本もアジアものんびりしている。インターネットなどが
使えるかもしれないが、使おうとしている人はほとんどいない。
携帯電話すら使わない年配の方も多い。私も将来はそんな生活に憧れる。
経営者でもビジネスパーソンでも仕事がデキる人はメリハリ感がある。
仮に都会でICTに四六時中囲まれている仕事をしていても、
休日は携帯電話すら使わない世界でオフを楽しんでいる。
つまり、情報に対して受け身だけではストレスが溜まる一方だ。
情報感度を磨くためにも「情報をスルーする、情報を無視するスキル」
が必要である時代なのだ。
――――――――――――――――――――――
(近藤 昇 著 2015年9月30日発刊
『ICTとアナログ力を駆使して中小企業を変革する』
第5章 エスカレートする情報過多と溺れる人間
-情報を知らないでいることの幸せを忘れない より転載)