[本文引用]
日本も犯罪大国と言われるようになり久しい。
私たち一般市民の期待に反して、凶悪犯罪の検挙率は下がる一方だ。
警察の捜査力うんぬんよりも、平和な国であったかつての日本の安全は
すでに崩れかけていることには個人的にも危機感を抱いている。
私は徳島県の田舎町で子供時代を過ごした。
当時は家の鍵をかけることなどほとんどなかった。
家の鍵をかけていようものなら、近所から逆に怪しい目で見られたものだ。
この頃の日本の田舎町はみな似たような光景だっただろう。
ちょうどこれと同じようなことは、今の東南アジアの田舎でも見受けられる。
本当に懐かしいし、安心できる光景なのだが……。
近代化と同時に都会化が進むと、企業だけでなく個人の家庭でも
防犯対策が強化される。
犯罪を犯す輩とのイタチごっこは永遠に続くだろうが、ここ数年、
日本の社会でも大きな変化が起こりつつある。ある凶悪事件が発生する。
そして犯人が捕まる。犯人逮捕の経緯などが報道されると、
ある傾向に気づく。かなりの確率で犯人逮捕の手掛かりとして
防犯カメラが登場しているのだ。
確かに、そのような事件が報道され、改めて自分が日常生活の中で
さまざまなシーンで防犯カメラが設置されていることに気づく。
ふと、カメラの死角はと、童心に返りいたずら心が芽生えもするが、
多くの人たちは防犯カメラに映らないように自然と行動するだろう。
これがよい方向に進めば、防犯カメラはその名のとおり、
犯罪の抑止に効果をもたらすと思われる。
ここでICT社会の視点からこの防犯カメラを考えてみたい。
日本のような先進国が数十年前のように鍵もかける必要がなかった
時代に戻るのは不可能なことだ。これは誰もが理解できるだろう。
いまや街中には防犯カメラは増える一方だ。
このままいけば、都会に限らず、田舎のいたるところにも設置され、
日本の中でカメラにとらえられない場所はなくなってしまうのではないか。
こんな時代が目の前に迫っているように感じてならない。
日本中の人間の行動をすべからく監視することがICTを使えば、
容易になる時代が到来しているということである。
カメラはすべて、意図的にICTでつながる。
誰がそのすべての映像に対して責任を持つのだろうか。
映像と個人情報が結びつけば、普段、生活している私たちの
プライバシー情報はすべて丸裸の状態となる。
抑止か、監視か。単純に二者択一論では語れないが、
少なくとも、私たちが普通に生活しているいたるところに
防犯カメラが設置されているのである。
私たちはそのことにあまり気づいていない。
のぞき穴から覗かれて生活するのと、しっかり守られていると思いながら
生活するのは受け止め方は180度かわる。皆さんはどう思うだろうか?
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(近藤 昇 著 2015年9月30日発刊
『ICTとアナログ力を駆使して中小企業を変革する』
第6章 アナログとICTの境界にリスクあり
-防犯カメラか監視カメラか? より転載)