ユーザーブログ:【第7章】学校教育にICTの導入で教育は変わるのか?-74675 | シニアジャンプ.com ~ アクティブシニアの総合情報サイト

【第7章】学校教育にICTの導入で教育は変わるのか?

ユーザー
サイト管理者
日付
18年10月10日 10時04分
元記事URL(外部サイト)
https://ameblo.jp/kondoh-blg/entry-12410872143.html

[本文引用]

次に子供たちの教育現場について考える。 


 

 

ここ数年で小学校、中学校の教育の現場にICT活用のシーンを
よく目にするようになってきた。この変化の背景のひとつは国家の施策がある。
生徒に1人1台のタブレット端末の配布が政府目標として掲げられている。
アジアの近隣でも韓国やシンガポールなど近隣の先進国では、
学校教育にICT活用は当たり前である。
国家主導で先進するこれらの国に追いつけ、追い越せといわんばかりである。
また、米国などにならってスマート教育の名のもとに、
日本でもイメージ先行で期待が広がっている。
ITゼネコン(国内大手IT企業)のたんなる商売ネタにならないことを
切に願う。

日本はICTに関しては後進国ではない。もちろん、他の産業はいうまでもない。
しかし、実際問題、教育以外の世界のICT化に比べると学校の教育現場は、
かなり遅れている。遅れを取り戻すべく、国の予算ですでにいくつかの
実証が行われてきた。そんな教育現場の先進的な授業の風景はこんなイメージだ。

生徒は1人1台、タブレットを持って授業を受けている。
電子ホワイトボードとネットにつながったスクリーンが教室の前にはある。
先生の配布の資料などは、PCなどの共有の場所に保存するだけで、
全生徒が同時閲覧が可能。タブレットなので、当然、インターネットには
つながっている。授業中は自由にネットを操作できる。ネット接続の禁止は原則しない。

余談になるが、私は子供の頃は落ち着きのない子供であった。
興味があらゆる方向に分散してしまう。そういう生徒はきっと、
先生の言うことなど聞かずに、勝手にネットで時間を潰すと思われる。
いや、もっと、面倒な生徒も登場するだろう。
ついつい余計なことも想像してしまう。

一番厄介と想定されるのは、先生の資料や発言をいちいち、ネットで検証を
はじめる生徒たちだろう。知識をよりどころに先生として教えてきた者としては、
たまったものではない。ただたんなる知識を伝達していた先生は立場が失われる。
しかし、タブレットの利用シーンは多種多様。先生が生徒の利用状況を
すべて把握するなんてとてもできない。ただ、生徒の中には、毎日、
日常でタブレットに没頭している子も出てくるだろう。
そんな生徒は、ある意味、ネット検索でもプロ化していく。
これでは、生徒に教わる先生が出てきても不思議ではない。
こんな逆転現象が容易に起こりえる。
先生の威厳どころではなくなるのではないか。

私は日本の先生たちの今のICT習熟度の状態でICT教育を
拙速に進めることに危ういものを感じている。
最大の問題は、生徒がますます先生の言うことを聞かなくなることである。
本来学校は勉強も学ぶところであるが、日本の良さは、社会人としての
マナーや躾を学んだり、チームワークを学ぶ場所であることだ。
本当の意味での人間力形成は大人になってからだが、その素地は、
小さい頃、学校や家庭や社会で身につけるものである。
そこへICTの達人に生徒が次から次へと変身していったら、
先生への信頼感は揺らぐし、威厳もなにもあったものではない。
ICTの問題以前に、もうすでにそんなもの崩れているという方も
多いだろうが、私は、今のままのICT活用推進のやり方では、ますます、
問題を助長するだけだと思う。

解決の答えはひとつである。まずは、生徒にたくさんの大事なことを
教える先生がICT弱者になってはいけないのである。
ただ、それは、ICTの知識や使い方に精通すれば良いというものではない。
たとえて言えば、ICTの活用は本物の包丁を子供に持たせて、
料理を教えるようなものである。
包丁は、使い方を間違えば、人に危害を与えてしまう。
それを教えて、楽しく料理を作る。ICTも実は、そういうリスクが
あるんだということを先生が学び、その回避策や考えをみずからが実践して、
初めてICTを使った教育が可能なのである。

コンテンツや学び方も工夫する必要がある。
例えば、ICTを使うと、自然に触れたくなるコンテンツを創る。
最低でも農業体験をテーマにする。東南アジアやアフリカなどの
日本より発展が遅れた国の子供たちと、通信しながら彼らの生活実感を学び、
多くのことに気づく機会をつくることも大切だ。
通訳はオンラインで登場してもらう。もうひとつは、教室同士のつながりを作る。
例えば、音楽が得意な子だけがネットで集まって、音楽教室をする。
クラスに1人しかいないような趣味を持った子でも、日本中探せば、
いくらでもいる。スマート教育は、カッコ良くなくてもよい。
今までの教育で解決できなかった問題をICTで上手に解決するしくみや
コンテンツを、先生とICTのサービス会社が一緒になってつくっていく
共同作業が必要だ。その過程が大事であり、その過程を共有することで、
ICT教育の世界において先生たちが教えるべきことが見えてくるように思う。

――――――――――――――――――――――

(近藤 昇 著 2015年9月30日発刊

『ICTとアナログ力を駆使して中小企業を変革する』

 第7章 水牛とスマートフォンを知る

 -学校教育にICTの導入で教育は変わるのか? より転載)