[本文引用]
商売には私が思うに2つの種類がある。
顧客に「必要なものを売る商売」と「余計なものを売る商売」。
今の日本は後者が多すぎる。「人口減=顧客減」の日本ではますます拍車がかかる。
あまりに度が過ぎると「日本はこれでよいのか」と心配になる。
余計なものを売るということは余計なものが氾濫し、使われないままタンスや
倉庫に放置され、最後は地球のゴミとなる。物事には限度があって然るべきだが、
残念なことに先進国で豊かな日本は、随分前から余計なものや無駄なものが
溢れる社会になってしまった。もちろん、中古となってアジアやアフリカにおいて
現地の生活に貢献していることもあり、すべてが悪いといいたいわけではない。
しかし、それにしても日本の今の商売は企業がしつこ過ぎるぐらいに
余計なものを売り続けている。私の幼少期は「もったいない」が
身近に存在していたが、今となっては懐かしい話なのだろう。
一方、新興国や発展途上国中心のアフリカやアジアは必要なものを売る商売が
全盛である。これが商売の原点であると思うし、何よりビジネスに後ろめたさもない。
もしかして、顧客を騙しているのではないかと良心の呵責に悩む必要もない。
ビジネスがシンプルで、良いモノが売れる。役に立つものが売れるだけだ。
余計な策も弄しないし、商売も楽しい。仕事をしていて顧客の喜びを
感じられる比重が日本よりも遥かに大きいのである。
美味しいものを提供して喜ばれ、少し品質の良いものを提供して喜ばれる。
こんなビジネスの楽しい場所が地球にはまだまだたくさんある。
例えば、日本ではほとんど使われなくなったハエ取り紙。
若い人は見たことすらないだろう。しかし、かつての日本でも大活躍した商品だ。
私の子どもの頃は、農家であったこともあり、身近にハエは当たり前のごとく
存在した。台所中心にハエ取り紙が常にぶら下がっていた光景を思い出す。
ハエ取り紙がぶら下がっている姿を見ると子どもの頃の記憶が蘇ってくる。
そんなハエ取り紙は今も日本で製造しているメーカーがある。
誰が考えても日本国内市場は限りなく小さい。
実は東南アジアへの行き来が始まった約20年前から私は
『ハエ取り紙ビジネス』の可能性は感じていた。
ただ、不思議なことにあれから時間は相当経過しているのに、
いまだに東南アジアにハエ取り紙があまり見当たらないし、
ビジネスをしている話も聞いたことがない。
これだけ日本の昔と似ていながら、なぜなのか改めて考えてみた。
これらの国は都会でも日本に比べたらまだまだ不衛生だ。
とはいえ、田舎に行けば、日本の昔とそっくりの生活環境がそこにある。
まさしく私がアジアセミナーで必ず話をする「ごはんにハエ」の環境だ。
東南アジアの田舎は私が子供の頃に眺めた風景と似ている。
今の日本から見るととても不衛生に感じるが、彼らは、実は私が思うほどには
不衛生さを気にしていないのだろうか?
それとも、ハエ取り紙ですらコストが合わないのか?
そういう商売を誰も思いつかない?
実は私が知らないだけで、すでにメーカーも現地にあって当たり前に
使われているのかも?
考えだしたらきりがないが、今のところは日本の昔と違ってハエ取り紙は
現地の生活者にとって必要なものではないのかもしれない。
しかし、段階的に衛生的な環境に改善が進むだろうことは予想され、
そうなれば間違いなく、衛生をとても気にする時期が来るだろうし、
ハエ取り紙かそれに代わる最新の類似商品は必要なものになると思う。
色々と考えを巡らせてみるが、日本では市場がほぼ消えたといえる
ハエ取り紙ビジネスの市場は、地球規模で見たら無限大であることは間違いない。
実は色々と調べていくとハエ取り紙同様、日本ではすでに市場が消えている
蚊帳もアフリカで拡大している。
「日本人ビジネスマン、アフリカで蚊帳を売る」(東洋経済新報社)という本を読んだ。