[本文引用]
今や人生100年が当たり前になった。
私で当てはめても社会人になった約35年前、一般的な会社勤めの定年は60歳だった。
それが今や70歳定年が当たり前になりつつある。実際70歳代でバリバリ働く人も増えている。中には70代で初めての起業にチャレンジする方にも時々出くわす。昔のことを考えたら、ただただ驚きだ。
2015年に“もし波平が77歳だったら”の拙著を上梓した。
それからは、おかげさまで、お元気なシニアの方に沢山巡り合った。
拙著でもアクティブシニアと表現した。また同時にシニアの課題や苦悩も沢山知った。70歳を超えて働く人の大半は男性だ。共働きがほとんどなかった世代だから当然だが、お元気に活躍されている方々の共通事項がある。
それは自立だ。
彼らは、社会にも会社にも依存していないのである。もしかしたら、家族にも依存していないかもしれない。
私は“シニアファーストで日本を元気に、そして世界を元気に”を常々標榜している。
だからこそ、シニアの自立にとても関心がある。
そして、ここに“これからのシニア”が進む道が見えていると確信する。
60歳定年が当たり前だった時代、常識のように言われたことがある。
大企業を定年した人は、華々しい現役時代と比べてもリタイア後の生活があまりHappyではない。
有名企業の看板や肩書、そしてプライドが捨てきれず社会や身近なコミュニティになじめないのである。
大企業で立派な人ほどそういう傾向がある。
“彼らは可哀そうだよね”という同情のニュアンスが混ざって揶揄されることも多い。
今も、現実にはこういう予備軍は沢山いると思う。
実際、私もビジネスの場で実感している。私の同世代から一つ下の世代、つまり40歳以上との接点も仕事柄多い。
結構世間では仕事ができる人で通用している人でも、この方、今の会社を離れたら、自立して生きていけるのだろうか?
とついつい余計な心配をしたくなる。
たいてい、こういう人は自分の会社=社会であるかのような言動する。
私からしたら、今の社会を知らないのである。
話は変わるが、自立することは必ずしも独立することではない。
もちろん、独立することは幾つになっても勇気がいるしチャレンジングだ。
失敗を覚悟でトライしないと成り立たない。ローリスクハイリターンは存在しない。自立を越えた、レジリエンスも要求される。だからこそ、シニア起業の場合はローリスクでそこそこリターンが望ましい。
では、独立ではなく、自立とは何なのかだが、
一言で言うと、人や社会に依存しないことである。
先ほどの拙著“もし波平が77歳だったら”にも書いたが、
例えば、シニアになったら料理を自分でする。というのも自立の第一歩である。
今のシニアで料理ができない人は時代背景と重なって沢山存在する。バリバリ仕事だけしていた世代だ。イクメンなど程遠い。奥様が面倒見てくれる間は良いが、そういう恵まれたケースは少ない。さらに掃除洗濯までとなると、ほとんどの人がお手上げか?企業に勤めていた時は、バリバリ自立しているように見えても、仕事を離れたとたんに自立できていない人は、50歳以下あたりでも沢山いる。
定年後に迷走する人は、現役時代の仕事で自立していたのだろうか?
そもそも仕事で自立するとはどういうことなのか?
一流の大きな会社になればなるほど、仕事ができる人が多く集まっている。鍛錬の場としては最高だろう。しかし、それ以上に会社の仕組みが鉄板のようにできている。場合によっては、アシスタントも充実している。優秀な人がまわりに沢山いて、サポート体制も充実している。しかも、仕事もきれいである。
その結果どうなるか?
結局、部分的に仕事のスキルがそこそこあれば、適材適所も機能しているし、それなりに仕事は出来る人になれる。2:6:2の法則に当てはめれば、上位の2割にではなくても、中間の6割でもやっていける。
しかもそれでも一流企業の社員という勲章までももらえる人が結構いる。勘違いも生まれて当然だ。
一方、中小企業は、もともと、それほど仕事ができる人が集まっているわけではない。会社の仕組みも不十分、不完全の事が多い。また、アシスタントを配置できるほど余裕のある中小企業は少ない。一般的によく言われるが自ずとオールマイティ型が会社の中心になる。
その極みが何でもこなさないといけない中小企業の社長である。
大企業と中小は一概には比較はできないが、大企業で働いていた人のほうが、定年になってからの不自由は多い