[本文引用]
人が知りたがる理由は沢山あると思う。
一番は好奇心だろう。
情動からくる欲求かもしれない。
仕事に限らず、人は知らないことに関して好奇心がわく。他人のプライベートな事には特に関心が強い。
芸能ニュースや暴露系週刊誌などが流行るのはそのせいだろう。
もちろん、自己啓発やスキルアップのための知りたがる気持ちも好奇心の一つともいえる。
一方、半ば強制的にやむなく受動的に行う知ること、それはたいてい調べる仕事になるが、世の中にはこの“知ることに”関する仕事をしている人も多い。
ちなみに、私は、とても好奇心は強い。
その結果、知ることに関しては常に時間との闘いだ。知りたいことが溢れるとストレスの原因になる。
“知れば知るほど知らないことを知る”
私の口癖でもある。
次元は違うが、あのアインシュタインはこう語っている。
The more I learn the more I realize I don't know. The more I realize I don't know the more I want to learn.
学べば学ぶほど何も知らないことがわかる。無知であると知れば知るほど私はさらに学びたくなる。
この英文はこんな日本語かと思う。納得。
実るほど首を垂れる稲穂かな
という有名な言葉がある。
一言で言うと、ちょっとぐらい詳しいと言って知ったかぶりをしないこと私は解釈している。
こういう謙虚なふるまいをして品格を高めよう。
と、自分自身にも社員にも求めてきた。
一方で自分が仮に世間でも認められる専門家だったとしても、横柄にならない。
こういう人は本当に尊敬できる。
知ることについてもう少し掘り下げると、
今は情報過多の時代に加えて、情報の検索領域と検索手段が格段に増えた。
私は特にITは分かっている(という一方で何も知らないという意識も強い)ので、本のようなアナログ的なリソースからネットなどのデジタルなリソースまでを対象範囲として、知ることを解決しようとするから、余計に骨が折れる。
この数か月、私の関心の一つは、ご多分に漏れず、コロナ危機に関してであった。
ただ、こちらについては、過去にパンデミックは繰り返されてきたとはいえ、ほとんど当時の記録が残っている時代ではない。
だから必然的に今の情報という事になり、それはネットで検索するというパターンになる。
実際に今でもそうだが、数多発信される情報の中でもコロナに関する情報発信が断トツではなかろうか。
いまでもこのコロナに関しては、私も仕事の立場上もキャッチアップしておかないといけないが、最近は流石に専門家を数人決めて、その人の意見を頼りにしようと思えて来た。
実は、これは何事にも当てはまるのであるが、
ある一つの分野やテーマを知りたくなり、少しでも知ろうと色々と追っかけていくと、結局はその道のプロや専門家に行きつく。
ノウフウの話でもある。
そして、知りたいことの対象の時代が古くなればなるほど、唯一、書籍として存在して