[本文引用]
人生には色んな記念日がある。もちろん、記念日は嬉しいことが理想だが、
今回は、そうでない出来事の話である。
人生には上り坂、下り坂、“まさか”の坂があるとはよく言ったものだ。
私もご多分に漏れず、半世紀以上の人生で、“まさか”はそれなりに経験はしていたが、
一年前の骨折は、私にとってはここ10年の最大の“まさか”だったかもしれない。
本当に災難は忘れたころにやってくる。
私の骨折は実に約34年ぶりの事だった。とっくに、その時の経験は忘れていた。
人生で初めての骨折は今でもとても苦い経験だ。
私の誕生日の2日前の9月28日。新入社員の夏の事だ。慰安旅行で泥酔して足を骨折した。人生で最悪の誕生日になった。
宴会で無礼講と言われて無知な私は、先輩や上司に暴言をはき、あげくは取っ組み合いもした。翌朝、中居さんが“お兄さん、昨日面白かったわよ”という言葉が二日酔いでフラフラの私にどれだけ重かったか。幸いにも骨折の痛みは感じなかった。結果、自業自得で会社を2か月以上休み、多大なる迷惑をかけた。先輩諸氏に様々指導も受けた。そして人生観が変わったと思っている。
今回の骨折の治療はとても苦労したが、一方で多くの気づきと学びがあった。
そんな話も含めて折角の記念日に記録しておきたいと思う。
1年前の日曜日、どちらかというと、少し休憩モードの穏やかな1日を過ごしていた昼過ぎだった。
この7月はいつも以上に国内外を動き回っていた。
上旬にはチャーター機を手配して、ベトナムのダナン・フエでMICE事業の一環のEGAビジネスカンファランスを主催した。復路の便には乗らず、私はホーチミン経由で用事を済ませて、日本に戻った。その2日後に今度は現地法人があるアフリカのルワンダに向けて、知り合い8名で、ドバイ、エチオピア、ルワンダ視察ミッションに出かけた。
そして、7月24日には、久しぶりのゴルフコンペを開催。
いつになく慌ただしい日々を過ごしていた訳である。
歩きなれた神戸の街の歩道を歩いて、突然、くぼみでつまずいた。
ポキンという乾いた音とともに激痛が走った。
重いねん挫と思ったが、なんとか自力で歩いて家に帰った。
翌朝になっても痛みが引かず、ネットで探した整形外科へ。
結果、剥離骨折が判明した次第である。
年配の先生が慣れた口調で言う。
“この骨折、なかなか治りにくいよ。パキンと折れてた方が早いよ。それと年齢的にもちょっと時間かかるね”
骨折は人生で2度目なので、妙に私も冷静だったが、思わず先生に訊いた。
“今週も来週も出張で飛行機にも乗らないといけないんです。しかも、ベトナムにもいかないといけないんですけど・・”
先生はややあきれ顔で苦笑しながら、では、なんとか動けるような処置をしましょう。という事で、歩行用のギブスを処置していただいた。
会社経営を長年やっていると、リスクマネジメントという部分で誰よりも敏感にシャープになる。私もそれなりに自信をもって日々を過ごしていた。海外でもリスクは日本より何かと多いので、余計リスク察知と対策には自信があった。
ちなみに、リスクマネジメントは予期せぬ悪い出来事を未然に防ぐ。ということである。
散々周りから言われた通り。自分自身の事には油断しすぎていた。大いなる反省材料だ。
あれから1年、それなりに歩けるようになり、普段の水泳も復活している。
コロナ禍で回復計画は狂っているところはあるが、ゴルフもそろそろかな。というところにも来た。