[本文引用]
何年ぶりだろうか?
昨晩は久しぶりに眉山から徳島の夜景を高校時代の友人と観た。感覚的には随分街が明るくなったように感じた。
眉山を下から眺める事ばかりで、頂上に登ることは滅多にない。
昼間の眉山から見る徳島の景色も絶景だ。一目するだけで水の都といわれる理由が分かる。そして、雄大なる吉野川にはいつも圧倒される。
吉野川の川は四国三郎と呼ばれ、東西に流れる日本では珍しい川でもある。
学生時代、金沢出身の友人が瀬戸内海が見えると間違えたぐらいスケールが大きい。
私は徳島県で生まれ育ち、もしかして人生100年としても折り返し地点はとうに過ぎた。私の人生で吉野川を意識しないときはなかった。18歳までは実際に吉野川と共に育ってきた。郷里を離れてからは、帰省の度に吉野川に再会し、その雄姿を眺めた。毎回見るたびに変化する雄大な川をしばし、たたずみ想いに耽ることが今でもある。
夏場も同様。今では少なくなったようだが、私が小学生の頃は夏になる度に大型台風が襲来した。正直、子供にとって台風はなんだか嬉しい記憶ばかりだ。学校は休みになるし、普段経験できない遊びの体験ができるからだ。畑には水が溢れ、そこでよく泳いだものだ。
台風の最中に、吉野川の堤防に登って濁流と大きくうねる川の流れを見ていると恐怖感とともに自然の凄みを体で感じていた。とはいえ、親のほうは大変だった。昔ながらの木造の母屋は強烈な台風の風でふき飛ばされる可能性があった。台風が接近する度に家の窓は風で破壊されないように木材で補強がされた。一番大変だっただろうと思うのが、玄関の引き戸を内側から大きな丸太で支え、ふき飛ばないようにしていたことだ。
徹夜で手で押さえていた親父の姿は今でも脳裏に焼きついている。このような田舎特有の経験則が私の人生に大きな影響を与えた。
仕事という機会を通じて、再び吉野川に深くかかわるようになったのは約10年前のことだ。今にして思えば、それ以前は、私は吉野川の下流だけしか知らずに生きてきた。大きな川と海(紀伊水道)の交わる河口の農村で生まれ育った私は特有の自然の雄大さや恐怖を学んできた。