[本文引用]
ベトナムと関わってきて早いもので20年が越えた。
昔は十年一昔といわれていたし、20年となると本当に長い年月で、
私がベトナムに初めて行った時からすると、今のベトナムのすべてが信じられない。
私は、東京の“三丁目の夕日”の生活体験はない。
仮に徳島生まれではなく東京生まれであったとしたら、ベトナムのこの20年が違ったものに感じていたかもしれない。
そして、私が新興国にどっぷりはまって、ビジネスをしていなければ、日本の三丁目の夕日で象徴される過去の日本の高度経済成長期にいまほど強い関心は持たなかったと思う。
日本の高度経済成長期は華々しい成長と成功の裏で数多の失敗をしている。多くの犠牲もあった。時間の経過とともに忘れられていくが、その失敗経験こそが日本の真の価値だと私は強く思っている。そしてその結果として出来上がった今の日本を新興国のお手本にすることはとても意義があると思っている。
もちろん、良い意味でのお手本ともなりえる。しかし、悪い意味でのお手本、つまり反面教師としての日本がこれからのベトナムなどの新興国や地球の健全化に役立つと考えている。
こんなことを書くと、その当時の経済発展にど真ん中で貢献してきた方々はご立腹だろうか。
今、コロナ危機でアフターコロナ、ウィズコロナなどで表現されて、色々なイノベーションを創出しようという声が日増しに高まっているし、私の周りでもある意味ポジティブな話題が一気に増えてきた。
ただ、私は、今までの思考回路や姿でのイノベーションの創出という意見には正直、懐疑的だ。世間で出ている新しい動きは、結局は今までの経済メカニズムの範囲の延長線上で考えていることがほとんどだと思う。
そもそも、イノベーションとは技術革新の事だけでもないし、常に新しい発見が必要なわけでもない。昔に戻ることも必要な時代だ。
ジョブスが、イノベーションとはつなげること。と語っているが、私は一番シンプルで好きだ。
本来向かうべき地球の姿、あるべき経済メカニズムに関しては、すでに半世紀前から専門家や改革派の人達から明確なる警鐘を鳴らすメッセージも発信され続けている。そして、そういう声に共感、共鳴して活動してきた人も世界に沢山いる。
ただ、残念なこともある。日本だけで見ても高度経済成長期の土台となり柱となってきた今までの経済メカニズムが限界にきているのが明白になっても、一向に変革しようという兆しがないのも事実である。昔のままなのである。
つまり、経済の発展のためには地球を壊しても仕方がない。経済の発展ぐらいでは地球は痛まない。あるいはまた、自分の会社に貢献することに夢中なあまり、地球の事を考えたこともなかった。多分、日本で高度経済成長期を支えて懸命に働いた人は、このどれかに当てはまるだろう。流石に地球を破壊してでも儲けようという人が多いとはとても思いたくないが。
1990年のバブル崩壊以降を失われた10年と何度耳にしたことか。それが20年になり、今は失われた30年になろうとしている。果たしてそうだろうか?私はそうは思っていない。
相変わらず目先の景気を良くすることばかりを追っかけている。
そもそも、高度経済成長期を経て進んできた道が間違ってきた部分も多い。
真の変革の機会を逃し続けている50年が正しい表現ではなかろうか?
そのスパンで考えると、今までは失われた30年ではなく踊り場として考えたい。正直、踊り場が長すぎるとは思うが、何かの巡り合わせで遭遇した今回の世界共通の非常事態こそが、経済メカニズムを変革する絶好のチャンスだと思う