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今、オンラインでハッピーキャリア応援シリーズを開催している。
次回は、8月19日に開催予定である。
一昨年、ラジオ番組に登壇させていただいたご縁で、森清華さんを主役で女性のハッピーキャリアについて、セミナー、フリートーキングを予定している。
私は、会社を創業した時から、老若男女多国籍で働くこと、ビジネスをすること標榜して来た。機会があるたびに会社の経営指針としても発信している。
実際、中小企業の中では目立って老若男女多国籍を実現している会社だと思う。
もともと、私自身が20代の時、中国人、マレーシア人が部下だった2年間の経験があったので、31歳で創業したブレインワークスは会社が多国籍になるのは必然だった。
そして、会社でする事業を思考している毎日の中で、今にして思えば、社会課題の解決や多様な人の活躍の場を創造することに強い関心があったと思う。一方で、今となっては、私のキャリアのバックボーンの一つになっているITでどうビジネスするかも四六時中考えていた。
これが、創業4年目のブレインワークスのパンフレット。
まずは、SOHOワーカーとして、活動を始めて、最初のビジネスがベビー用品のリサイクルビジネス“おさがりの会”、成功の確信はなかったが、中古ビジネスが始まる予感があり、とても気合が入っていたが一年後に阪神大震災をど真ん中で体験し止む無く事業が中断になった。
その衝撃的な体験で、会社だけでなく生き方まで変わったように記憶している。
その時に考えたパンフにある企業理念は、その後、変更と改良を重ねて今に至っている。
根っこは全く変わっていない。
震災後すぐに始めたのが、CAMSである。キャリアマザーズと読む。商標もいまだに保持している。簡単に説明すると働くお母さんのサポートのしくみである。ITの仕事をしていたので、その時の環境で出来ることに目を向けながら、ITの未来は大体予想できたので、近い将来当たり前にお母さんが子育てしながら働く時代が来ると思っていた。(ただ、コロナの前の現時点では、ITの進化の割には、旧態依然としてビジネス社会の変革は遅れていたと思っているが)
会社を創業してからの27年を振り返っても、世の中は劇的に変わった。
女性活躍が毎日のように声高に言われるようになり、一方で、高齢化社会の到来の中、人生100年を錦の御旗に、シニアの働く機会の創出や生きがいの発見に国を挙げて躍起になっている。
そして、20年前の私の想像を凌駕しているが、多くの新興国の人たちが日本に働きに学びに来るようになった。
コロナ前は、移民国家になるならないの議論も沸騰していた。
創業時は、あくまでも自分の企業の経営のスタイルとして老若男女多国籍を目指し、社会問題の一つでも解決できるビジネスで貢献しようと奔っていたが、今あらためて考えてみると、随分前から日本全体はすでに老若男女多国籍の社会に向かっている。
ビジネス視点では言うまでもなく、個人の視点で考えても、日本全体、つまり私たちのビジネスの環境、生活の環境は全く変わってしまっていると言っても過言ではない。
ハッピーキャリアは老若男女誰しもが目指すところだと思う。
これは世界中の人も同じだ。