[本文引用]
人間は記憶することを拠り所に人生を歩んでいる。一方で、時間とともに記憶から消えていくことも多い。
そもそも、記憶と言うのは脳科学的に言えば、短期記憶と長期記憶があって、それにエピソード記憶というのもある。
大学受験などの記憶は、試験が終わったとたんどんどん忘れていく。短期記憶では試験に合格しないので、反復練習でなんとか試験までは覚えておくように訓練する。こんなことを若いとき時は一時期には真剣に取り組んだような気がする。
これに意味があったかどうかは、どちらとも言えるが、仕事を長年やっていても、記憶するという行為はつきまとう。
一方で、ビジネスの場は、どんどん記録優先になってきた。その最大の理由は、IT社会がどんどん進展してデジタル情報として様々ものを記録できるようになった。
一昔前だと、テキストなどの文章、写真、動画がおおむねの記録の手段だったが、今は、社会全体、近い未来には地球そのものが記録のプラッフォーム化していくだろう。私はこれを記録の世紀、記録の時代と呼んでいる。
話は変わるが、私は最近、自社のオウンドメディアで様々な情報発信をしている。目的は大きく分けて2つである。
一つは、オウンドメティア発展のため、自分が実際に使ってみることである。これは、例えば、レストランを始めるのに、類似のレストランを試食して回り、そして、自分のレストランを立ち上げの際は、毎日のように試食してみる。実際、ベトナムでレストランにトライしたので、こういう体験をした。
もう一つの目的は、自分自身のもっている経験値、知見、ノウハウを記録の残すことである。
私はITの仕事をして来たので、平均的には仕事の軌跡が記録に残っているほうである。講演の録音やたまたまのラジオ出演の録音などもあり、これはこれで活用できる。ただ、それでも暗黙知的なことは沢山ある。それは過去にさかのぼれば遡るほど多くなる。
一方、時代背景もあって、20年ぐらい前は、色々と記録しようにも手段も少なく、結果記録の手掛かりがかなり少ない。
もちろん、仕事とプライベートを100%切り離すことはできないので、プライベートも含めて何らかの手がかりの情報を色々と探していると、結局は写真しかないことに改めて気づく。
特に私が働きだした35年前ぐらいの事を思い出そうにも、手掛かりがない。
そんなことで、少しだけ持っている新入社員の時のころの写真を眺めていたら、結構記憶がよみがえってきた。
私は脳の専門家ではないので、記憶の仕組みを詳細には分からないが、きっかけがあれば、記憶は蘇るものだと思う。
そんなことを日々考えていると、あの時の写真あったっけ?と探してはみるが、自分があまりにも写真を残さない主義だったことを思い知る。
確かに、私の20代では、仕事もプライベートも合わせても100枚も持ってい