[本文引用]
チームワークは実に奥が深い。
在宅勤務含めたテレワークが一気に増えたが、それまで当たり前にしていたチームワークが発揮できずに日本中が混乱している。
ウィキペティアには、“チームワークとは集団に属しているメンバーが同じ目標を達成するために行う作業、協力、意識、行動など”とある。
仕事だけに限ったことではないが、人類の永遠のテーマと言っても過言ではない。
コロナ禍の中、危機を克服するための新たなチームワークも随所に生まれている実感はあるが、一方で、コロナ前に当たり前だったチームワークが乱れているのは疑う余地はない。
すでに様々な形で情報やニュースとして流れているが、一言でいうと、ストレスが蔓延している。慣れないIT環境で仕事する事や、テレビ画面と言う特殊な装置で相手の顔を見ながら長時間はとても疲れる。
それに加えて、日本の強みとしてきた阿吽の呼吸も含めたチームワークが発揮できていない。
一か所に人が集まらない中でのチームワークの発揮は極めて困難である。
日本と言えば世界の中で協調性や団結力などの強みがありチームワークに長けていると評判だ。
これはビジネスの世界だでけではない。
サッカーにしても野球にしても陸上のリレーにしても。
日本が国際試合で、チームワークを発揮して快挙を達成した事例は、枚挙にいとまがない。
こういうことが達成される度に、日本国民としての喜びと同時に、自分事のように誇りが持てる。
日本人の多くが日本人はチームワークが優れていると思っているのは間違いがない。
実際、日本では子供のころからチームワークを学んだり訓練する機会はベトナムなどの新興国と比べても圧倒的に多い。
しかし、“チームワークの高さ”を悪く言えば、個人プレーの力が弱いことの裏返しだと評論する人もいる。私は、特にスポーツの世界でフィジカル面でのハンディを無視して議論する事には、いささか納得がいかない。体格の良い欧米系の人が個人スキルが高いのはあまりにも当たり前に思うからである。フィジカル面で劣る日本人だからこそ、チームワークで努力していると言える。
私はこれが素晴らしいことだと思っているし、多様性に回帰している時代にはますます日本独特の強みになる。
話は変わるが、私は人類の発明でスポーツぐらい健全な活動は他にはないのではないか?と思っている。
人間の集団活動で、これだけ人を感動し影響できる行為が他にあるだろうか?
一番記憶に新しいところでは、昨年のラグビーワールドカップだ。
日本代表の快挙に日本中が熱狂した。ラクビーファンでない人たちまでも巻き込んで、
チームワークの高い日本の活躍に歓喜した。
ワンチームの流行語も生まれた。
改めてチームワークの意味、価値、そして日本人の誇りを見つめなおす機会になったと思う。
ここでもやはり、日本チームの献身的なチームワークがフォーカスされた報道が多かった。
しかし、ラグビーのスタイルは独特だ。日本の特徴である献身的なチームワークの枠を超えて、爽やかでカッコよく自由度も高そうなこの雰囲気が、長年日本が目指してきたチームワークの境地ではないのだろうか?
私は自分でスポーツをするのも好きなこともあり、ビジネスのスキルアップやチームとしての成果を出すための行動をスポーツに例えて、人に教えることが多い。
仕事のトレーニングもスポーツと対比させたり、エッセンスとしての共通事項を重要視している。それは、同じ人間がすることだからである。
最近発刊したこの本も、
PDCAを新興国の人材育成に役立てる目的で制作したが、ふんだんにスポーツの事例を取り入れている。
実際、ベトナムのサッカーチームも日本人が関わってチームワークを重視しだしてから強くなってきた。特にベトナムは身体能力的に日本人と近い。
そういう意味では、ベトナムのような国は、スポーツでは日本に学ぶことが合っているのだと思う。
ではそろそろ、本題のビジネスの話にもどる。
やはり、日本が得意とするビジネスの基本スタイルはチームワークである。
ベトナム限らず新興国は総じて日本に比べて、ビジネスレベルは低い。これは会社、社会、個人とも低いと言っても間違いはない。今回は、会社と個人に話を限定して進めるが、今は、経営者でなくても、ネットなどで日本などの先進国の情報はベトナムにもよく伝わっている。日本がチームワークが得意なことは伝わっている。
十数年前のベトナムでは、こんなたとえ話をよく聞いた。
ベトナム人三人が大きな穴に落ちる