[本文引用]
今年も酷暑の中、
先日、終戦記念日がやってきた。
日本人にとっては永遠に忘れてはならい意味のある記念日だと思う。
それは人類にとっても重要であることは間違いない。
物心ついた時から、ニュースで流れる式典の様子や戦争体験を語る方々のメッセージが印象的だ。単純に考えても、戦争の体験者は永遠に生きているわけではない。いずれ体験者がいなくなる。そうするとこういう戦争体験は、単に歴史上の一頁になってしまうのだろうか?
ベトナムで20年以上活動していると、ベトナム人の友人が少なからず増えてきた。しかも付き合う年数も自然と長くなり、会話も深い話が多くなってきた。
ベトナムと日本は米国と戦ったという共通点があり、飲みながら友人たちとこの話題になると、結構、同志としての意識が芽生えたりする。こういう事実一つでも人間とは不思議な動物であると思う。
戦争の背景や構図は、ベトナムと日本で全然違うが、ベトナムにも毎年終戦記念日がやってくる。
丁度、日本とは30年のズレがある。
この30年のズレで感じることの一つが、戦争体験者がベトナムの方が圧倒的に多いことだ。しかも、私の同年代の友人たちも普通に戦争の話になるし、結構、その当時のデジタル化した写真などをスマホに入れていたりする。こういう時、今はIT時代なんだと改めて思う。
私は、ITの仕事を長年やってきて、強く思っていることがある。仕事としてここまで長く関わってきたので、ライフワークかと聞かれたら、そうです。と答えたくもなる。
しかし、私はITを使って健全な社会を創造することをライフワークとすることに決めていて、そういう意味では、まだ、何も達成できていないと思っている。
単に効率化や便利さの追求については、この先あまり興味はない。
折角人類が手に入れてしまったこの万能のツールにも見えるITを地球の健全化、社会の健全化、人の健全化に役立てない事になるとしたら、人類はとんでもないリスクを抱えることになる。
今は、記録の時代であると、このブログでも何回か触れてきたし、最近はセミナーやライブで四六時中話している。
記録の世紀について