[本文引用]
最近、私の周りで自然体という言葉を使う人、感覚的に自然体で活動する人などが増えてきた。
私自身も昔から自然体を意識してきた。
子供時代は、農村で生まれ育ったこともあり、ほとんどを自然の中で過ごしてきた。
また、今までの人生で自然児だよねと、言われたことも何度もある。
実際私は、自然そのものが好きだし、自然児と言われることも嫌いではない。
私が思うに、この自然体という感覚は、実に奥が深いと思う。
あるがままにというのが私が頭に浮かぶイメージだ。
他には、平常心でいる。ピュアである。ブレない。無理のない。まっすぐである。誠実であるというイメージも浮かぶ。
考えてみたら、本当に無理なく自然体でありながら、ボジティブな感覚の言葉だと思う。
それに加えて心地よい状態、リラックスした状態、人間が落ち着いている状態を自然体と言う印象もある。
“あの人自然体過ぎていまいちだよね”という感じの使い方も無くはないが、例外だ。
あと、“不自然”から考えても自然体の意味が際立つ。不自然には不安や不信感や疑いのニュアンスもある。不誠実な態度も不自然を連想する一つである。政治やビジネスで不自然だというと何やらきな臭くもなる。
そもそも自然とか自然体と言うのは概念である。
物体ではなく存在するものではなく人間が持っているイメージとも言える。
そういう意味では、哲学、心理学や宗教などの分類にもなりえると思う。
ちなみに、自然体をデジタル大辞泉で調べてみた。
1 剣道などで、両足をわずかに前後または左右に開き、無理のない形で立った姿勢。
2 気負いのない、自然な態度。
なるほど、シンプルで納得である。
自然体と言えば、自然を連想する人も多いと思う。
私は、自然の中で育ったので、自然体=自然の中で暮らす事、自然と触れていること、自然を当たり前に意識して生きるいう感覚がある。
あくまでも感覚だが、都会育ちの人の思う自然とは違うような気がする。
簡単に言えば、自然の中で成長してきたので、それ以外の成長の仕方を知らない。
川や海や田んぼや畑の中で成長してきたつもりだ。
だから、自然体だねと言われると、私から自然の中で生まれ育った感覚がにじみ出ているからなのでは・・そんな感じで、若い時までは思っていた。
ところが、その感覚がだんどんと、変わってきた。正確に言うと進化してきたである。
それは仕事で新興国ベトナムで活動するようになり、最近はアフリカで活動しているからだろう。
これも自然体で進んできたことだが、新興国で感じる自然体はまた違う。
先進国では感じられない自然体がある。