[本文引用]
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働き方が大きく揺れている。
コロナ禍前は、政府主導で働き方改革が半ば強引に進められようとしていた。
いつものプロセス通り、大企業に改革を迫ってきた後は、猶予期間があるとはいえ、中小企業に働き方改革をという流れであった。
この流れが止まった。
正確には、コロナ禍で労働者が様々な体験をした。まだその体験は続いている。
自然への回帰が強まり必然的にワーケーションが話題に上ることも多くなった。副業・兼業という言葉を厚生労働省が定義して制度化しようとしているが、ワーケーションと同列に書けば、ダブルワークと言ったほうが、新鮮で良いかもしれない。
たかが、言葉と思う人がいるかもしれないが、
私もそうだが、日本語、とくに漢字は一度染みついた印象はなかなか変えれない。
余談だが、私は、最近、消費者という言葉は使わない。生活者としている。
ものを浪費する印象が強いからだ。
働き方改革もそういう意味では、登場した時から必ずしもポジティブな言葉ではなかった。
特に中小企業の経営者の本音では、本質とは違う表面上の働き方改革が押し進められようとしていた印象が強い。
私も経営者としては同感だ。
私のように、超自由裁量で30年近く働いていると、ある意味労働者の立場でも視点でもないので、説得力がないかもしれない。
しかしながら、私は新卒の時から9年間ビジネスパーソンの経験はあるし、創業者、経営者と言えども、働いていることには変わりはない。
そして、いつかどこかで営者は引退するつもりなので、そうすると厚生労働者が定義する労働者ということに戻るかもしれない。
いずれにしても、働くということは奥が深い。
私は中学生のころ、強烈にタクシーの運転者になりたかった。よくこの頃の授業でなりたい職業を問われる時期である。
そして、高校生になり、なぜか職人にあこがれた。
私の同級生は皆覚えていると思う。
ラーメン屋かすし屋になると公言していた。
高校卒業間際には、大学進学と相まって、建築家を目指すことに落ち着いてはいたが、今から思えば、何でも良いと思っていたと思う。
大学に入り、働くという事をすっかり忘れていた4年間だった。
一生、あんな学生生活が続けばよいと本気で思っていた。
就職が決まって、いよいよ、入社式というあたりから、私の憂鬱は数年間続くことになる。
私の実家は専業農家だ。今は実弟が後継ぎで、実弟の働きぶりを見ていると、先進的な研究やテクノロジーも取り入れている反面、こだわりはもしかしたら親父以上だと思うところもある。私は次男なので、順調に行けば後継ぎにはならなかったのだが、会社を創業した5年目ぐらいの時に転機があった。訳があって農業を引き継ぐ話が持ち上がった。
今でも思う、その時に引き受けていたら全く違う人生になったと思うし、どんなアグリビジネスをしていたと思うと、少し残念な気持ちはある。
村上龍さんが13歳のハロワークを出版したのは、2003年である。
私は出版会社を立ち上げたばかりの時で、この書籍に衝撃を受けたのを覚えている。
13歳でハローワークである。
確かに、この時の日本にはこういう視点で中学生に働く事、職業の事を教える考えはなかった。
この本を私が中学生の時に見ていたら人生は大きく変わったかもしれない。
今世間では、ダブルワークとワーケーションが流行言葉だと思う。
この2つは、結構親和性はあると思う。
本日、私のブレワでも話したが、
今