[本文引用]
この暑い季節になると、
私は無性に素麺が食べたくなる。
もちろん、暑い夏に清涼感を味わえるのと、胃にも負担が軽くダイエット食にもちょど良いと思っている。
しかし私自身はなぜ、素麺が好きになったかは子供の頃、一番食べていたものだからだと思っている。物心ついた時から夏の時期は毎日素麺を食べていたと思う。
私の実家は農家だ。農家と言うのは盆暮れの贈り物は欠かせない。
いわゆるお付き合いである。冬のお歳暮がなんだったかは正確には覚えていないが、夏は相場が決まっていた。家の中には素麺、タオル、石鹸が山のように積んであったのを未だに覚えている。なぜ、家には素麺やタオルがいつも山盛りなのかを疑問に感じた時期もあった。
私が大学生の時、石鹸を買ったことがなかった。それは実家から幾らでも送ってもらえたからだ。
まだ、私が子供のころや若いころには、日本には“もったいない文化”はあったと思う。
都会ではわからないが、間違いなく田舎にはあった。
だから、頂き物が過剰になったからと言って、捨てるとか売るとかいうことはなかったと思う。
だから、私は毎日のように素麺を食べていた。
正確に言うと、素麺料理だ。料理になると冬でも食べれる。みそ汁の具になったり、焼き素麺になったり。実によく素麺を食べたものだ。だから、私は今でも素麺が好きだし、みそ汁に素麺が入っていたりすると感激する。
リサイクルやリユースがビジネスとして認知されてから久しい。
私も、創業時の27年前、ベビー服、ベビー用品のリユースビジネスを始めた経験がある。創業1年目に阪神淡路大震災に遭遇していなければ、今でも続けていたかもしれない。
その時の発想はシンプルだった。自分に二人目の子供ができ、ある事情もあり、私は子守を3か月ほどして過ごした経験がある。今でいうイクメンと言えば、知り合いに笑われるかも。
会社を登記し独立の準備期間としても約100日はちょうど良かったのかもしれない。
お祝いにもらう服やベビーベット、ベビーカーなどを見ていて、日本のもったいないを再認識した。よし、これを事業化しようと立ち上げた次第である。
サービスの名前は“おさがりの会”だ。
今でも私のビジネスの原点だ。
これが不思議とつながってつながって、今は環境ビジネスも推進している。
一方で、環成経ビジネスコンソーシアムも昨年の6月に立ち上げた。
自動車部品のリサイクルを世界の80か国以上の国でグローバル展開する、会宝産業株式会社近藤典彦会長を座長に活動を推進している。最近では、オンラインを活用して、毎月ビジネスコンソーシアムを開催している。
この活動も、人と人をつなげる役割も果たしていて、すでにビジネス連携が幾つも誕生している。やはり、情報と人は加速度的につながる時代た。
世の中は、SDGsやESG投資といった言葉も一気に認知されてきた感がある。
コロナ禍で多くの人は立ち止まって、人間が歩んできた過去を振り返り反省する機会にもなっている。総じて消費が一気に減った。
経済的な落ち込みは確かに由々しき問題であるが、無駄な買い物、無駄な消費が減っているのは間違いがない。
ここで生活者が気づくことが出来れば、人類にとって絶好の機会と言えるだろう。
そもそも、右肩上がりの経済成長と言うけれど、日本のように人口が縮小に向かう国では、経済成長そのものが無理がある。
食品ロスの問題一つでも、今の経済メカニズムの限界を知ることが出来る。
食品ロスもコロナ禍の今は、一時的にしろ減っている。
しかし、コロナ前に問題視されていた事は深刻だ。ざっくり書くと、食品の1/3は捨てられている国が日本であるという事実だ。アフリカの小国の1年分の食糧分だという意見もある。
人間が生活をしたり世間との付き合いを営む中で、子供のころの素麺のように過剰になる事はあるだろう。だけど、それでもやっぱり、もったいない文化や習慣があれば、捨てたりはしない。
もっとも食品ロスの社会問題は、もったいない文化の欠落だけが原因ではない。
簡単に言うと今の経済メカニズムの欠陥だ。
流通の段階や小売店そのものの経営の仕方に問題がある。また、それと同等以上に生活者の考えが無駄なものを幾らでも浪費する、使えるものを捨てるという思考回路になってしまっている。
今、リサイクルやリユースは産業とまではいかないが、ビジネスとして認知された。家庭の不用品買い取りますの商売も連綿と続いている。
しかし、何でもかんでもネットで流通すればよいというものでもない。そもそも、流通コストか無駄である。また、売れる方法が多岐にあると、安易な買い物が触発される。
生活者は今一度、家の中にある余ったものを棚卸してみるのが良いと思う。
流石に素麺が沢山ある家は少ないと思うが、もったいない文化が日本に復活するのは一人一人の生活の場であることは間違いがない。
以上