[本文引用]
私はベトナムで色々な事を学んだ。
もちろん、私は日本人なので、日本の教育、日本の文化、日本の習慣などか染みついている。また、少しは子供のころの躾も今に生きているのかもしれない。
その私が、大人になって働くようになって、やがて起業してすぐにベトナムでビジネスをするようになった。海外ビジネスはベトナムが初めてではなく、それまで中国や韓国などの経験はあったが、ベトナムでは現地法人を構え、ベトナム人社員を雇った。
経営者としては、社員を雇うとなると、自然と社員教育を始める。
実際、日本で起業してからもそうで、設立後数年で社員が一気に100人になった時、初めて社員教育の必要性を痛感した。それからの20余年、社員教育の事を考えなかったことはない。
そして、社員教育に人一倍力を注いできた自負はある。しかし、それが成果に結びついたかと言えば、いまだもって結論は出ていない。試行錯誤中だ。社員教育を仮に一言で言えば、とにかく難しい。
日本人の社員教育でも難しいのだから、さぞかしベトナム人の社員教育は難しいだろう。とほとんどの日本人がそう思うだろう。
実際、ベトナムに進出したばかりのころの私もそう思っていた。その時のベトナム人が日本人の同世代と比べて皆子供に見えた。例えば、大卒一年生が中学生ぐらいに見えた。また、日本でのパターンがことごとく通用しない。時間は守らない。納期の概念がない。チームワークなんて理解させるには不可能だとも思った時期もあった。
その時の知人に、
ベトナム人に教育なんてやめたほうが良い。
砂漠に水をまくようなものだから。
と忠告されたのを未だに覚えている。
その言葉にムキになったわけでもなく、私はそもそもできないと言われることをしたがるタイプだ。それからも根気よく続けてきた。
そんなある時、ふと気付いたのである。
ベトナム人も日本人もどの国の人も同じである。同じ人間である。
その時以来、私の教育に関しての考え方がワンランク上がったように思っている。
今から振り返れば、それは15年ぐらい前の事ではないかと思う。
実際、そのタイミングで教育用テキストの構想が始まった。
もちろん、教育についての考え方は千差万別だ。経営者の間でも意見が違う。ベトナム人に教育すれば日本人の良さが身につく。いやいや、ベトナム人に教育するのは無駄だ。子供のころからの躾がなっていない。反対に、今の日本人はベトナム人に刺激を受けるべきだ。などなど。この議論は尽きない。
話は変わるが、私はいまでもよく日本人とベトナム人経営者の両方にこういう話をする。
こういうケースを想定しましょう。
ベトナム人の赤ちゃんを日本で育てる。日本人の赤ちゃんをベトナムで育てる。
そうするとどうなるだろうか?例外はあるにしても平均的には、日本で育ったベトナム人は日本人らしく、ベトナムで育った日本人はベトナム人らしくなるだろう。
これにはあまり異論がないのではないかと思う。どちらが良い悪いではなく、教育の本質ではないかと私は思っている。