[本文引用]
今、SNSなどを全く使っていな人が日本にどれだけいるだろうか?
ちなみに、最新の情報によると、年代別の差はあるのは当然としても、国民の半分以上の人は、何らかでSNSを使っていることになる。
実際、仮に私が100人の方とビジネスで常時情報交換などをしているとして、電話とメールのみでやり取りしている方は10名以下だと思う。
少なくとも、ほとんどの方とSNSのメッセージ機能で気軽に情報交換している自分に気づく。
考えてみたら、結構ランダムではあるが、それぞれの方の活動が断片的にでも情報としてインプットされる。
平たく言えば、SNSを積極的に使っている人は、自分の活動を何らかの目的で常に情報発信、投稿している。
極端な話、私が知り合いでビジネス上とても気になる人がいて、毎日その方の投稿を全部見ているか?と言われればNOであるし、そもそも、そんな時間がない。
たまたま、空いた時間にたまたま流れていた情報として遭遇することがほとんどだ。
シンプルにいうと、フロー情報にたまたま出会う状態である。
自然体でランダムに部分的な情報をキャッチしていることになる。
これをSNSを運営している側の仕組みや機能に照らして考えてみると、実に、ネットやSNSからの情報は意図的に操作されていると考えることもできる。
例えば、Facebookであれば、友達としてつながっているからと言って、その友達の投稿が全部見れているわけではない。詳細は割愛するが単純に考えて、仮に1000人の友達がいて、その友達が毎日1投稿するだけで、1日1000投稿が流れてくる?こうなると、とても使えるものではない。当然、サービスを提供する側は、様々な仕組みを用意している。これはどのSNSでも似たり寄ったりだ。それぞれの企業のビジネスモデルを少し研究すれば、すぐに見えてくる世界である。
あたらめて、人の事を気にすることを単純に考えてみる。
SNSなどがなかった時代。知り合いではあっても、長年コミュニケーションしていない状態であれば、その人の活動は基本的には知る術はない。せいぜい、知り合いの知り合いからの噂話程度であった。
例えば、5年ぶりや10年ぶりといった久しぶりの電話やメールでとても盛り上がる。稀に、どこかの街てバッタリもなくはない。
ところが、今は、日々、この確率は減っていく。
しかし、その相手に知らせることなく気づかれることもなく、相手の事を知ることが出来る可能性がある。
必要以上に“人を気にする事”が助長されるSNS時代にどう適応するか?
これは私の今の強い関心の一つである。
いつ頃だろうか?
風の便りという表現をあまり聞かなくなったように思う。
いまであれば、SNSの便りと言うのだろうか?
風の便りを改めて調べてみると、
“どこからともなく伝わってくるうわさ。風聞。”(デジタル大辞泉より)
とある。
概ね良い意味で使うようだ。なんとも風情や人の機微を感じる表現である。
そして、日本人らしいとも思う。
気にかけている人の事を、ふと、人づてであったり、噂で聞く。
風の便りのないのは元気な証拠。こんな時代が懐かしい。
今の若者が風の便りを経験することはもうない時代なのかもしれない。
今のデジタル世代の若者、つまり、物心ついたときからSNSに囲まれて生活している世代にとっては、きっと、知り合いの事を気にするセンサーというか感度が違っているのかもしれない。
私はITの仕事をしているとはいえ、ベースはアナログ世代である。SNSがない世界で、人の事を気にしてきた世代である。
この人のことを気にするというのは、人間が社会的動物である以上、誰でもが持っている本能的な行動だと思っている。
人間はとにかく、人の事が気になる。
そもそも、自分がどう思われているか?
を気にすることが一番多い。
そして、知り合いの動向が気になる。
この気になるのは2つある。好意的に気なるのと、その反対で気になる。
自分がどう思われているか?の世界を劇的に変えたのが、匿名サイトである。
いまだにこの負の部分を引きづってネット上の誹謗中傷の問題は後を絶たない。人間の本能的な他人を攻撃する部分が助長されているのは明らかだ。
こちらについては、また、別の機会に書くとして。
今日は、知り合いの事が好意的に気になるについて、もう少し書こうと思う。
私は、平均的な経営者の中では、自分の情報を発信しているほうだ。
SNSの投稿だけでなく、ライブもしているしメルマガ