[本文引用]
名曲が映画になった。
今年の8月に“糸”の劇場での上映が始まった。
私も、この映画は幾つかの理由で気になっていたので、早速、神戸で観た。
私は映画評論家ではないので、そういう意味での評論は出来ないし、映画の内容もマナーとしても書けないので、
映画に関しては、まずは“素晴らしい映画”とだけお伝えしたい。
そもそも、私が言うまでもなく、すでに大ヒット。コロナ禍という時代背景、主演などのキャスティング、そして、そもそもあの中島みゆきの糸を映画化した。などなど話題性も抜群だしこれほどタイムリーで意味のある映画は他にないのではないかと思う。
この映画そのものが、つぎの“糸”になって、人の心や言動、社会に良い影響を与えることは間違いないと思う。
そういう意味でもぜひ、一度ご覧いただきたい映画である。
そもそも、私は歌の“糸”が好きだ。
ご多分に漏れず、中島みゆきの大ファンで彼女の歌は全部好きと言っても過言ではない。
特に、地上の星、宙船(そらふね)、時代など、人の情愛や葛藤だけでなく、時代背景を背負い、時には時代に警鐘を鳴らし、人を奮い立たすこともあり、勇気を与えることもある。どの歌にも奥の深さを感じている。
だから、なんど聞いても飽きることがない。ここぞという時は特によく聴く。そして自分の成長と共に味わいも変わる。きっと、時代を越えた、人間そのものに焦点が当たっているように思う。
私の拙い表現では、中島みゆきの歌の良さは伝えれらないので、このあたりでやめておくが、
実は、私は、糸に関しては、誰よりも先にこの歌の良さを発見した自信がある(笑)。
どうでもよい話だが、結構わが社の社員などはこのこと知っている。
最初に発表されたのが、1992年のEAST ASIAというアルバム。最後の曲として入っている。実に約30年前である。
私は、このアルバムでこの歌を知った。メロディ
もさることながら、この歌詞が脳裏に刻まれたのを覚えている。
そして、ドラマ“聖者の行進”の主題歌になり1998年にシングルカットされた。確かこの頃からカラオケでも歌えるようになったと思う。社内の飲み会で、結構、私も歌っていた。今では、私より上手に歌う社員が増えてきたので、私は、最近は、せいぜい車を走らせながら歌うぐらいである。
私は結構、冗談で、“糸を流行らせたのは私だ”と言っていた。(笑)
その後、ミスチルがカバーして、EXILEのアツシもカバーもしている。
そもそも、歌が良いので、誰の歌唱でも素晴らしいのだが、
劇場で流れた中島みゆきの歌声に勝るものはないと、改めてこの“糸”のすばらしさを、映画と重なって感動した。
ここからは、私なりの“糸”の歌詞の解釈をしよう思う。
人と人の出会いを“縦と横の糸”で表現していることが、この歌の全てのベースだと思っている。
ここで、斜めの糸があると言いたい人もいるかもしれないが、あくまでも感覚の世界だと思う。だから私も人と人生は“縦か横の糸”だと考える。そして、自分が縦でも横でもよい。
要は、いつどこでだれと出会うかどうかだ。
更に私なりの勝手な解釈を説明する。
やや数学の立体的な話になるが、同じ平面であれば縦と横の糸というのは、どこかで必ず交錯する。平行線ならば永久に交わることがない。つまり、出会いはないという事である。
同じ平面でないと、絶対に交わらない。
ここがポイントだ。
もちろん、細かくへ理屈言い出したら、他にも交わらないパターンはあるかもしれない。
数学的な話はこのあたりでやめておく。
シンプルに話を戻すと、
同じ平面であれば、お互いが生きている間に、必ずどこかで出会う。つまり会うべき人に会う。ただ、それがいつかは分からない。その出会った瞬間にお互いの過去も知る。同じ平面にいたことを知る。
私が、口癖のようにいう“何をするかよりも誰とするか”という真意もここに重ねている。
だから、私は、経営者セミナーでもこの2つの話をセットですることも多い。